木更津に現れた謎の中華門!中国人向けホテルと地元廃墟ホテルの明暗
駅前の中心市街地が寂れすぎてヤバい木更津の街並みの変貌ぶりは、商店街や映画館の壊滅だけには留まらない。木更津市街地に点在するホテルにも変化を及ぼしている。木更津港に近い場所に何故か突如として「中華門」が現れたのだ。寂れた街が中華街化する兆しか?それとも…
…という話題に上がったのが「東京ベイプラザホテル」という宿泊施設である。中国語表記で「東京湾花園酒店」と書かれているごつい中華門が県道に面した駐車場にデーンとそびえていて嫌でも目につく。地元で老舗だった「ホテル観月」を中国人経営者が買収し、中国人団体観光客向けに特化したサービスを展開しているらしい。
駐車場の傍らには北京の紫禁城にある九龍壁がミニチュア再現されていて完全にチャイナ仕様。日本に旅行に来ているのにこっちでも中華ムード満載とは如何なものかと思うが、経営者が中国人なのだからしょうがない。
ゴテゴテした中華門や九龍壁さえなければ普通のホテルと大差ないのだろうが、生憎ながら日中関係の冷え込みで中国人団体観光客が減っている昨今、どうなんでしょうね。アクアラインを使えば羽田空港も近く、今後の圏央道の開通で成田空港方面へのアクセスも不便ではない木更津に狙い目を付けるあたり、商売の上手い中国人経営者はよく知恵が回るものと感心する。
一方で従来からある日本人経営の旅館やホテルはどうなっているかというと、てっきり業態変更して「適合高齢者専用賃貸住宅」に鞍替えしちゃってる所まであったりして随分趣きが異なる。
木更津駅前よりも、むしろフェリーの発着地に近い港付近に古いホテルが点在しているのだが、軒並み廃墟化しているか、それ同然の姿を晒している所が多い。まったくもって酷いものである。「第一ホテルみほし館」も見た目にはそこそこの建物なのだが、完全に廃墟だ。
「みほし館」の正面玄関に回る。本当にそこそこちゃんとしたホテルだったには違いないのに、完全なる廃墟。どうしてこうなった!どうしてこうなった!玄関口はベニヤ板で封鎖されているが、中心市街地にある故DQNが潜入しようと思えばいつでも出来そうな状態にある。建物の所有者は一体どこに行方をくらましてしまったのか…
同じ建物に別玄関で「いけす料理みほし」の店舗もあるのだが、ここも同様に廃墟状態のままで放置プレイ。廃墟マニアが潜入していて「1階内部は水浸しだ」とレポートしているサイトがあったが、地元でも建物の処理に頭を痛めているようだ。10年以上は放置されているらしく外壁の崩壊が進んでいて危険とのこと。
あと、木更津中心市街地にあるのはここ「木更津温泉ホテル」。厳密には「休業中」らしいのだが、長年営業している様子はない。準廃墟物件といっても良い。恐らく出来た当初は市内で屈指の高層建築物だったのではなかろうか。
このホテルがまだ「完全なる廃墟」とは言えないのには訳がある。玄関口には所有者と思しき枯葉マークつきの自家用車が止まっていて、中で未だに暮らしていると思われるからだ。「温泉ホテル」と言うだけあって、地下から源泉を組み上げて使っていたらしいのだが、宿泊者しか利用できないなど融通が利かず、結局は時代に立ち遅れてしまったといった感じか。
おまけに玄関口には創業者か誰か知らんがお偉いさんの胸像まで建っていて旧時代的感覚が際立っている。昭和の偉人はやたらと自分の銅像を建てたがるものだ。
木更津温泉ホテルの裏手、富士見通りに面した一角も同ホテルの敷地だと思われるが立派な和風建築が残されている。一目見て分かるがほぼ廃墟同然の荒れっぷりである。かつては花街なんかもあったジャパニーズトラディッショナルなシーサイドリゾート、そんな木更津がここまで酷い状況になっているなんて、表玄関にいた埃をかぶった胸像のオッサンも泣いているであろう。
和風建築の背後からは立派なホテルの建物がそびえているが、やはりここから建物を眺めてどう贔屓目に判断しても殆ど廃墟と言って差し支えない。アクアラインはこの街の商売人には何の利益をもたらすどころか、全くの逆効果となってしまった皮肉な結末が透けて見える。
目の前の港から川崎行きフェリーが行き来していた頃には流行っていたであろう、キャパシティの広い旅館の成れの果て。街で一番の目抜き通りで見られる光景だというのだから信じられない。しかも東京からさほど離れてもいない街なのに。
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