東京DEEP的秋葉原ヲチ (8) 万世橋駅遺構

秋葉原にやってきて電気街やヲタ街にうつつを抜かすのも良いが、電気街から外れた南側の万世橋界隈も昔ながらのDEEPな建築群が残されており見逃せない。
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万世橋交差点から電気街方面を眺めると「いかにもアキバ」的な景色が拝める。例の事件が発生するまで行われていたかつての歩行者天国の南限がこの交差点にあたる。


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万世橋の上に立つと東側には山手線・京浜東北線・新幹線が走る高架橋が見える。外濠はそのまま浅草橋方面に流れ、隅田川に続く。
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橋の構造を見ても万世橋自体も相当古い橋だという事がわかる。現在の万世橋は昭和5(1930)年に架け替えられて今に至るが、よく見ると橋の下に部屋らしきものが見える。あれは何だろう。
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反対側の橋の下にも同様の構造物が見える。全く使われておらずミステリーなのだが調べてみると、実は橋と一体化した公衆トイレだったという。(→詳細
当時の技術では川の下に地下鉄を掘るのは難工事だったのが理由で、工事が完成するまでの間に銀座線にも幻の万世橋駅が存在していたそうだ。この界隈は何気にミステリアスな部分が多い。
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おおよそ中央通りの万世橋交差点を境に電気街を外れていく事になるのだが、万世橋を渡ったすぐ先には煉瓦作りの高架線が目に付く。旧万世橋駅跡である。
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明治45(1912)年当時、JR中央線の始発駅として開業したが、7年後に東京駅まで開通、その後関東大震災で駅舎が焼失、仮駅舎になったものの、後に秋葉原駅が旅客駅として開業してからは乗降客数が減り続け、戦前の昭和18(1943)年に駅自体が廃止されるに至った。
古い煉瓦建築の高架線はそのまま「交通博物館」として70年もの間使われ続けていた。
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その廃駅の遺構を今も中央線が走る。神田の次が御茶ノ水ではなく万世橋だった頃を知る人は戦前生まれのほんの一握りでしかない。
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高架下には取り残されたかのように電子部品を売る小さな店がひっそりと営業を続けている。そもそも店の名前が「ラジオガァデン」だぜ。小さい「ァ」に歴史の重みを感じるがもはや絶滅危惧種の臭いが漂う。
秋葉原駅ガード下にある「秋葉原ラジオセンター」などと同様の店舗である。
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その向こうに2006年5月に閉鎖された交通博物館の玄関が残っている。建物自体も残されたままだが今後の計画は何も無いのだろうか。ちなみに交通博物館の後継施設として埼玉の大宮に「鉄道博物館」が2007年10月に開館している。
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万世橋の一つ西側には「昌平橋」がある。総武線と中央線が合流し、その先は御茶ノ水駅。
御茶ノ水駅前の「聖橋」の姿も見えるほど、案外近かったりする。
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万世橋は日が暮れるとレトロな趣を漂わせる。橋の向こうは「肉の万世」である。戦後間近の時代に電気部品商だった創業者が食肉業に転身して成功を収めたという変わった歴史を持つ店だ。
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夜が来ると万世橋から見える秋葉原電気街のネオンサインがなおさら象徴的に映る。
秋葉原界隈はただのヲタ街に留まらない多彩さを兼ね備えるDEEPコアタウンだ。

東京都千代田区
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