銀座の激昭和レトロ空間「三原橋地下街」がいつの間にかご臨終していた件

中央区

「銀座」と聞くと世界に名だたるブランドショップが軒を連ねるセレブ御用達の繁華街だとか高級クラブだとか一方的なイメージしか抱かない昨今だが、昭和の面影を残した場所がまだあちこちに見られる街でもある。しかしそんな風景がまた一つ消えてしまおうとしている。

中央区 銀座

それが銀座のど真ん中、銀座四丁目交差点にも近い晴海通り沿いにある「三原橋地下街」と呼ばれる古い地下街。厳密には地下街というよりも晴海通りの下を跨ぐ地下通路に店が並んでいる程度のものだが、昭和27(1952)年12月に完成し60年以上の年月を刻む「日本最古の地下街」の一つだとも言われる場所。

中央区 銀座

元々この三原橋地下街がある場所には三十間堀川という川が流れていた。戦災を受けて破壊された銀座界隈から出た瓦礫を処理するため、この川が埋め立てられ、残った橋の下が地下街として整備された。晴海通りを挟んだ両側には「三原橋観光館」というビルが建てられ、この地下街と一体化している。

中央区 銀座

晴海通りから見える「銀座シネパトス1・2・3」の看板。この地下街の下には映画館もあり、戦後の時代から変わらない飲食街が形成され、年々街並みが綺麗に洗練されていく銀座の街の中にタイムカプセルのように当時のままの風情が保たれていた訳ですが…

中央区 銀座

この三原橋地下街が老朽化を理由に解体される事が決まり、無くなる前の姿を写真に残しておこうと何度か現地に足を運んでいた。地下街という通り、その入口は晴海通りに建つ三原橋観光館の建物裏にあり、階段を降りた下に広がっている。

中央区 銀座

三原橋地下街の中は、まさしく「昭和の飲食街」。同じ銀座と言えども、セレブ御用達な高級感は微塵にも感じさせない、どちらかと言えばオッサン好みの定食屋や酒場なんかが連なっていた。

中央区 銀座

和食一式をおかずに酒が飲めた在りし日の「食事処三原」の店先。値段設定が現在の銀座では不可能ではなかろうかというリーズナブルな設定。「インゲのごま和へ」に昭和を感じさせる。

中央区 銀座

映画館「銀座シネパトス」の方はというと、2013年3月末で既に営業終了していて、昭和42(1967)年に「銀座地球座」として開業してから45年の歴史に幕を閉じている。たまたま来た時のものだが、上映していたのは今や世界的グラビアスターを目指そうとしている小向美奈子主演「花と蛇3」だった。

中央区 銀座

銀座シネパトスで上映していた映画というのも、メジャーなシネコンにはないような映画だったり、製作総指揮大川隆法、幸福の科学系近未来予言映画「神秘の法」だったり銀座のど真ん中とはとても思えぬ場末空間で色々と神秘体験できる貴重な映画館だったのに無くなってしまって残念無念。

中央区 銀座

銀座シネパトスが閉館した2013年3月末から、三原橋地下街にあった飲食店も次から次へと櫛の歯が欠けたように店じまいしていった。どれもこの地下街が出来てから50年にも及ぶ営業を続けていた店ばかり。「お食事処三原」も2013年5月末で閉店。

中央区 銀座

「味は一流、名は一柳」の看板が個性的なおでんと魚河岸料理の「一柳」も2013年7月で閉店した模様。移転先とか見つかったんでしょうかねえ。

中央区 銀座

同じ「食事処三原」でもカレーコーナー三原というのが別にあって、こちらも定食類やカレーをおかずにビールを飲んだりできるリーズナブルなオヤジの定食屋になっていた。

中央区 銀座

カレーコーナー三原の方はつい最近(2014年4月25日)まで店を開けていた。三原橋地下街では一番最後まで残っていた店だ。

中央区 銀座

ザギンのど真ん中で700円台で定食が食えるなんて場所、今となっては貴重な存在になっていたと思えるのだが、とうとう無くなったか…

中央区 銀座

カレーコーナー三原の隣にあった散髪屋も2013年11月5日で閉店。移転予定はないらしく玄関ドアにある張り紙には近所の別の散髪屋を地図付きで案内してあった。

中央区 銀座

三原橋地下街が戦後の特殊事情もあって元々橋だった構造体の下に作った地下街であった事は、階段を降りて地下街に入ってすぐの所の天井を見ると分かる。橋桁の跡が残っているのわかりますかね。ちなみに地上部分の晴海通りも、橋があった分だけ地面が盛り上がっている。

中央区 銀座

で、この地下街も本来は都有地なのだが、地下街として開設された直後に当時東京都から地下街での営業許可を貰っていた財団法人が事業委託をしていた会社が禁止されていた又貸しを行って、風紀の悪いパチンコ屋や飲み屋なんかがぞろぞろ入居したとか過去に色々あったようですね。

中央区 銀座

その当時に入ったパチンコ屋の後にシネパトスの前身である「銀座地球座」などの映画館が入っていたらしい。その後、三原橋地下街は「日比谷線の建設」という名目で一度立ち退き問題が勃発する。

中央区 銀座

昭和39(1964)年に全線開通した地下鉄日比谷線がこの地下街のすぐ下を走っていて、その地下鉄建設工事の時に三原橋地下街の商店を立ち退かせて自動車専用道路なんかも一緒に作る計画で、移転先の地下街までこしらえたのだが、結局立ち退きに反対して結局地下鉄だけしか作られず、新地下街は倉庫になったという。

中央区 銀座

最後の最後までザギンのど真ん中で新橋ビルにいるようなオヤジ達のオアシス(喫煙場所)になっていた三原橋地下街もとうとう見納めとなってしまった。東京都はこの地下街があった土地を埋め立ててしまう予定らしく、数年後には歴史ともども地下に埋められてしまうのだろう。

タイトルとURLをコピーしました