川崎駅から北側に約1キロの位置にある「川崎市幸区河原町」。この地域に全15棟、戸数約3600を数える超巨大マンモス団地が存在すると聞いてやってきた。
ラゾーナ川崎といった大型商業施設がある川崎駅西口から徒歩15分の場所にある「河原町団地」が今回の目的地だ。昭和47(1972)年、東京製綱川崎工場の跡地に建設され、設計は丹下健三氏の弟子で同氏の片腕と称された大谷幸夫氏。高度経済成長期真っ只中に建てられた団地のエネルギッシュさが今の時代に見ても充分に伝わる迫力ある住居棟が立ち並ぶ。
元々この場所にあった東京製鋼川崎工場は昭和44(1969)年に茨城県かすみがうら市に移転。それ以前は川崎大空襲で工場が全壊する被害も受けたりしたそうだ。当地には多摩川の砂利採取事業の運搬で作られていた川崎河岸駅もあったが、砂利の運搬を辞めた後も東京製鋼の輸送に使われていたそうで、この貨物駅も東京製鋼の移転後に廃止されて、緑道や公園となった貨物駅ならびに貨物線の跡地が団地の南側を走っている。
何より「団地マニアの聖地」だなんて言われる河原町団地最大の特徴が「逆Y字型」の奇妙な形をした4、6、8号棟の3棟。建物の前に立つとその迫力が実感頂ける事であろう。物凄い形をしている…
そして中に入るとどこの秘密基地だと突っ込みたくなるような台形の吹き抜けスペースが現れる。まさしく高度経済成長時代でイケイケドンドンな1970年代のパワフルな日本の建築物。しかし通りがかる人々はみんな年金世代以上の爺ちゃん婆ちゃんばかりなのが対照的。
この逆Y字形の住居棟3棟、他の12棟も含めてこの年代の団地にはありがちなツインコリダーという形状の、中央に吹き抜けを配しその両側に2つの共用廊下を配置するパターンのものとなっている。
例によって上層階にお邪魔してみる。1つのフロアに全18戸、それが14階建てになっているので1棟あたり250戸程の収容能力がある計算になる。なので最盛期には1棟750~1000人くらいは住んでいたのではないだろうか。この河原町団地全体では人口1万6000人から2万人近くにはなっていたという話もある。
かつてこのマンモス団地専用の市立河原町小学校というのもあって、それも市内屈指のマンモス校で最盛期の昭和52(1977)年には生徒数1906人を記録した程だったというが、ここも生徒数減少で2006年3月に廃校となった。今では殆どが独居老人ばかりが中心となっている模様。
団地の最上階から眺める河原町団地の全景は「凄まじい」の一言である。15棟の高層棟で形成されているとは言え、建物の間隔はかなり広く取られていて集合住宅ならではの圧迫感を感じる事はない。むしろ様式美を兼ね備えた作りに惚れ惚れする事だろう。
逆Y字型になっていない通常の棟は、耐震補強対策によってツインコリダーの内側に巨大な鉄筋が付け加えられていた。この鉄筋が別の意味で威圧感を与えていて、真下から見るとなかなかの迫力がある。
ちなみに逆Y字型になっている1階から5階までの部分にある各戸は外側から見るとこんな感じ。ベランダが大きくせり出していて日当たり抜群な居住空間が確保されているのである。低層階の日当たりを重視してわざわざこの形状にしたんだそうであるが、なるほどこういう訳か。それにしても大胆な設計である。
広大な面積を持つ河原町団地の西側、13号棟から15号棟までが並んでいるうちの一階部分が商店街「はなもーる」になっております。ちなみに全15棟あるうちの中央の4~9号棟までの6棟が神奈川県営、この13~15号棟が住宅供給公社の分譲住宅、残りの6棟が川崎市営となっていてそれぞれ管理者が違っている。
団地の下にある商店街の中には銀行の出張所や郵便局まである。中央の吹き抜けには住民の自転車がたんまり停められていて人口の多さを物語る。これでも昔よりは高齢化が激しくなって住民も減ったのだろうが…
若干寂れ気味な感じは否めないが、ひとまず普段の生活に必要な買い物は団地内だけで完結するようになっているのは昔のままのようだ。ドラッグストアもあれば肉屋もあるし、スーパー「そうてつローゼン」だってある。
まあ、地味にシャッターを下ろしたままの店も多いようだが、かれこれ築40年も経てば商店街も時代に合わず古くなってしまうものだろう。店の看板も昭和感満載で素敵です。
「ディスカウントショップ」の看板もそのままに別の事務所に改装されてしまった元店舗もあり。
とうに住民の高齢化が激しいこの団地ではあるが、未だにヤンキーのたむろはあるようで、団地内にはこのような注意書きまでされている。「たむろを見たら、警察に電話しましょう。」だと。電話の掛け方まで「自分の名前は言わない」とか妙に具体的に書いてある。場所柄ヤンキーやらDQNやら昔から色々あったんだろうな。
埼玉の芝園団地しかり大阪の門真団地しかり古い団地は決まって外国人世帯が増えるものだが、こちら川崎の河原町団地にも何故か中国語で注意書きが書かれた看板もある。 そのうちここもアジア系食材店や中華料理屋がぼこぼこ増えていくんでしょうかね…