東京にも有名なものからマニアックなものまで神社や寺があっちこっちに存在している。行く先々で遭遇した「珍寺」のコレクションが結構増えてきたので、ぼちぼち紹介してみようと思う。
後楽園(もしくは春日)の駅を下りて、文京シビックセンターのごつい建物を横目に小石川植物園方面に北上すると「こんにゃくえんま」というちょっと変わった愛称を持つ寺がある。
この界隈の通りは歩道のみアーケード付き商店街になっている訳だが、商店街の名前もえんま商盛会と言う。古くからの個人店舗が多く地味ながらも堅実な店が並んでいる。東大本郷キャンパスにも割と近いという事もあるので古本屋があったり学生の行き来も比較的多い。
その商店街の途中に「こんにゃくえんま」こと源覚寺の入口が現れる。観光客が来るような場所でもないのでいつもひっそりしている。
まず境内に入ると真正面に閻魔堂が鎮座している。開かれたお堂の扉の向こうに閻魔様の姿が見えるであろう。それは良いのだが、ふとお堂の傍らに目をやるとスーパーで目にするパック詰めのこんにゃくが大量に積まれている光景が見られる。
これらのこんにゃく群は参拝者が願掛けの為に閻魔様にお供えしたものである。見た所、こんにゃくのメーカーも数も様々だが、9割型はノーマルタイプの黒い板こんにゃくである。
言い伝えによると、眼病を患ったとある老婆が源覚寺の閻魔様に毎日一生懸命に祈願していた所、老婆の夢の中で閻魔様が現れて「ワシの片方の眼をくれてやる」などと申したそうな。すると老婆の眼病がたちまち完治、喜びで一杯の老婆は自分の好物であるこんにゃくを供え物を生涯与え続けたとか。
確かにこの閻魔大王、片目が描かれていない。
そんな言い伝えから、小石川の源覚寺は眼病除けのご利益を授かる為に訪れる参拝者で地味に有名な存在になっている。絵馬掛け場を見ると願い事が書かれた絵馬の大半が眼の病気が治りますようにという内容のものだ。
しかし源覚寺が変わっているのはこんにゃくえんまだけではなかった。境内の奥に入ると身体中が塩に塗れたその名も「塩地蔵尊」というそのまんまなネーミングのお地蔵さんが姿を見せている。
全面塩まみれで顔や身体のパーツがどこに付いているか既に判断不能。ビジュアル的に可哀想にも見えるがこれも信心の成せるものである。
自分の身体の悪い場所に塩を塗りたくると病気が治るという願掛けだが、塗られている塩があまりに多すぎるので崩落してお地蔵さんの周りが富士の裾野状態で訳が分からない事になっていた。
あと、源覚寺に掲げられている除夜の鐘は「汎太平洋の鐘」という名称があって、戦前日本領だったサイパン島の南洋寺に搬出されていた鐘が戦禍に巻き込まれて行方不明に、それが戦後になってアメリカのテキサス州で発見され、1974年になって源覚寺に引渡されたもの。
そんな数奇な運命を辿ってきた鐘とともに、サイパン島戦争犠牲者を弔う観音像も置かれているのだ。
他には毘沙門天堂などがある。よくよく考えると一番普通なお堂がここしかなかった。地味で小さな寺だが実にネタ豊富で味わい深い。