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結核医療と病院の街「清瀬」 (2) 清瀬病院街<前編>

結核療養所が立ち並ぶ清瀬の病院街、そこに隣接する国立ハンセン病療養所、かつて死の病の罹患者を隔離収容する為の施設が密集して建てられたこの街を歩いて、隠された歴史を垣間見ることが出来ればと思いやってきた。
清瀬駅南口から西武線沿線沿いの清瀬銀座通り商店街を進むと、やがて西武線の線路から外れて商店街が南に折れる。

その先にはいよいよ清瀬が結核医療の病院街であることを示す物件がぞろぞろと出始めてくる。日本患者同盟本部と書かれた古い事務所の前には機関誌がベタベタと貼られている掲示板があった。



「健康新聞」という名の機関誌。障害者自立支援法廃止へ、と見出しが一面に踊る。左翼系機関誌にありがちな「団結」「守りぬこう」の文言があるなど、やはり独特の香りがする。

その隣には共産党系の「東京土建」の立て看板も並べられている。おそらくそういうことなのだろう。結核病棟を持つ病院を中心に医療関係施設が立ち並ぶ清瀬独特の事情で、社会的弱者の集まる特性から共産党がやたら強いわけだ。

で、相変わらず「銀座商店街」の名に相応しくない廃墟がずらりと立ち並ぶ光景が病院街までずーっと続くのである。一部はマンションやアパートに建て替わり、商店街の風情すらない。

蔦だらけになったスナック店舗の廃墟。
銀座という名がつく通り、これでもかつては清瀬の中心街だったのだろうか。駅から病院街までは1キロ少々、徒歩20分程度の道のり。
結核やハンセン病が脅威だった時代、ここを数多くの入院患者の家族が通り過ぎていたのかも知れない。

現在、駅前繁華街は北口方面にシフトしているようで、そっちは比較的新しい街のようだが…

地味な郊外の商店街なのに何故か「鉄砲火薬店」。シャッターが閉まったままになっているので多分営業はしていないだろう。昔はイノシシでも何でも出てくるとんでもない田舎だったのかも知れないが…

商店街のマスコットキャラクターが紫陽花をあしらったものになっている。季節柄、紫陽花はどこにも咲いていなかったが…

さらに商店街を進み、梅園駐在所前交差点を過ぎてから、途端に道の両側が雑木林に覆われる。どうやら病院街に差し掛かった模様だ。

処方箋受付薬局に加えて、ナース用の白衣・靴の専門店が入居する建物。いよいよ病院街らしくなってきた。

病院街に入ってまず最初に目に付くのが「複十字病院」である。財団法人結核予防会が運営する病院であり、結核医療における権威。病院とともに「結核研究所」の看板も掲げている。病床339床のうち60床が結核病棟である。
結核は治療法が確立されて不治の病ではなくなったとはいえ根絶された訳ではない。健康状態の悪いホームレスが多い山谷や西成に行けばまだまだ現役バリバリの病なのである。

複十字病院を皮切りにひたすら病院や医療関係施設ばかりが立ち並ぶ「病院街通り」。なぜこの土地に病院ばかりが建てられたか、その歴史を紐解くと「伝染病患者を隔離するため」という暗く重い事情が隠れている。

死の病と恐れられた結核とハンセン病、それらに不幸にして罹ってしまった患者が救済を求めるのは宗教しかなかった。そういう事情で清瀬の病院街にはやたらキリスト教会が密集している。休日ともなると教会敷地でバザーやフリーマーケットが行われ、にわかに活気に包まれる。

病院街が建てられた清瀬市の人口当たりの病床数は全国屈指の高さである。
一時期ここには16もの結核療養所があったと言われているが、現在はその多くが普通病院に変わったり、老人ホームを併設して介護患者がメインになった病院に変わったりと、時代の変遷に伴って病院街の性質も変化しつつある。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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