【八千代市】“昭和のニュータウン”を忠実に残す街・京成線「八千代台」駅前の風景を見る

八千代市

最近になって、よく千葉県民の方々から「なんで東京DEEP案内は千葉に来てくれないのか」とお叱りのメールを受ける。すみません、単に当編集部から遠いので足が向かないんです。でも年に何度かは行ってますので。ええ、本当ですよ。

で、今回やってきたのは京成線でだらだらと乗っていった先にある街、千葉県八千代市の「八千代台」という街だ。地理的には“津田沼のちょい先”になるわけだが、やたらと場所が遠い印象がある。ちなみに当駅は人口19.6万余りある同市の南西部にあるが、市内の地域で最も早くから駅が開業し、駅前一帯には商業地域が発展している。

千葉県葛南地域で最も影が薄い八千代市にやってきましたよ

そんな八千代台駅までは京成上野駅から約45分、都営浅草線の押上直通で日本橋から約50分。ここまで来ると東京都心からはかなり遠い印象があるが、まだまだ余裕で“ベッドタウン”である。京成線ユーザーの勤め人にとってはこの先の勝田台やユーカリが丘も全然通勤圏らしいので、片道1時間オーバーの通勤生活については何とも思わないようだ。

中央線や小田急線のような激混み路線、または相鉄線などで横浜駅経由で東海道線ないし湘南新宿ラインに乗って1時間近く電車に揺られて都内に通っている社畜リーマンの生活は想像するだけでも死にそうだが、京成線はそこまで人気路線じゃないので、まだ余裕があるんでしょうかね。しかし駅前の広告が決まって「パチンコ屋」なのも京成線っぽい。さらにキャラクターが落花生でパチンコ屋の名前が「ピーナッツ」なのも、めちゃめちゃ千葉っぽい。

「住宅団地発祥の地」の石碑がある街、八千代台

いわゆる“千葉都民”が集住する千葉県北西部の「葛南地域」に属する八千代市だが、その知名度は“白井市”ほどではないにせよ低い。昭和42(1967)年、千葉郡大和田町・睦村(後に印旛郡阿蘇村)の町村合併で市制施行され、市名は公募の結果、“君が代”の歌詞から付けられたであろう典型的な「瑞祥地名」である。そんな駅前のロータリーには、何やら唐突に古びた石碑が鎮座する。

この石碑には「住宅団地発祥の地」と記されている。首都圏の数ある団地を見て回ってきた我々にとっては「ははーっ、へへーっ」とひれ伏してしまいたくなる、そんな石碑だった。昭和30(1955)年に、習志野騎兵旅団跡地に千葉県住宅協会(当時)によって団地が建設されたことが“発祥の地”の根拠ということらしい。

そう言えばこの一帯、昔は「習志野原」と呼ばれた広大な陸軍の演習場があり、「軍都」として栄えた歴史がある。現在も駅北西側のだだっ広い土地が「陸上自衛隊習志野演習場」であり、船橋・習志野・八千代市の三市に跨って、旧陸軍用地が戦後になって工業団地や住宅地に再整備されてきた地域となる。

八千代台駅は昭和31(1956)年に開業しているが、その当初は「八千代台団地」が造成された駅西側に面した西口しかなかったという。今になってどこに団地があるか見に来ても、“多摩ニュータウン”ばりに団地がズラリと並ぶような、団地マニアが想像する通りの風景は見当たらない。千葉県住宅協会が整備した住宅団地は木造の戸建て住宅が立ち並ぶもので、既に建て替えなどでその風景は失われている。

あとは八千代台西六丁目に「公団八千代台団地」というのがあって、「団地らしい風景」があるとすれば、せいぜいそこくらいですかね。“団地マニア”な方々は石碑だけ見て、なんだかスカを食らった気分になって帰りでやけ酒するしかない展開である。駅前にはちゃんと赤提灯の居酒屋も揃ってます。だって京成線沿線だもの。

早い段階で住宅団地が整備された八千代台駅西口界隈は今ではしょぼくれた感じの商店街しか見られない。せいぜいアコレでトップバリュ製品を買いだめするしかない生活である。若い世代にはウケの良くない街であることが容易に想像できる。地域の人口減少はもとより、八千代台駅の利用者も減少傾向だ。もっとも、そうした若い住民は東葉高速線沿線に流れているわけですがね。

昭和のニュータウン臭が半端ない八千代台駅東口、ユアエルムがありますよ

しょうがないので後付け的に開発された駅の東口に出る事にする。駅前の発展具合では完全に東口の勝ちだ。千葉市花見川区北部の大規模団地「花見川団地」行きの路線バスもここから出ている。意気消沈している“団地マニア”はむしろこっちに行け。

東口を出ると目の前の雑居ビルがサラ金の無人ATMコーナーだらけになっているのも、何とも食傷気味。船橋とか津田沼の駅前とかも概ねこんな感じで酷いんですが千葉県では割とこのレベルで普通なのでしょう。京成線沿線で都心からやたらと遠い「ユーカリが丘」の住宅人気が高いのも、途中駅で住環境がまともなエリアが少ない事に裏付けられているのかも知れない。

駅前のペデストリアンデッキで直結している雑居ビルが見た目から古めかしくて、昭和生まれのオッサンにはビクンビクンしそうな風景が広がっている。船橋とか津田沼みたいに電車一本で30分そこそこで東京駅に直結するような場所とは違い、街の新陳代謝も緩い事の現れか。それから時間の余裕のない勤め人が多いからだろうが、“サクっと食える”系の飲食店には恵まれている。

ペデストリアンデッキとビルの二階の接続部分もこれまたカオスっぷりが極まっている。レトロな看板を掲げる「手打らーめん味の太郎」がやけにそそられる。首都圏の駅前一等地に進出しまくる埼玉企業のお安い中華チェーンの日高屋も船橋、津田沼には店を出せてもここまでは来られない。そりゃ昔ながらのラーメン屋も生き残るわけだ。

同じ東口のペデストリアンデッキで直結している商業施設「ユアエルム」。京成グループの運営するショッピングセンターだが、青砥駅前や公津の杜駅前に同名のものがあるにせよ、こちら八千代台駅前にある店舗が第一号店。昭和52(1977)年開業という古株店舗で、店の外観の古臭さからも年季を伺わせる。関西で言う「千里セルシー」的な貫禄ありませんか?

単なる古臭い駅前の古臭くなったショッピングセンターかと思ったらそうでもないのがここの凄みである。一歩中に入ると一階の吹き抜けの広場にはどでかい水槽がありプチ水族館状態となっていて多くの買い物客や子連れ客が溜まっている。半島県千葉にあって若干海から遠いお土地柄、鴨川シーワールドまで行けない、お財布カッツカツなご家庭にはさぞかし都合も良い。そして駐車場も割引が効くので車での来客も多く、非常に栄えている。

ユアエルム自体も相当レトロ具合が極まっているが、周辺の商店街もたいがい昭和風情どぎつくなっているのが八千代台という街。「エポラ通り」という名称がある。エボラウイルスの「エボラ」と空目しそうになるが、ユアエルムの「エ」、十字屋ポポ(千葉県内に複数あった百貨店)の「ポ」、ラオックスの「ラ」から一文字ずつ取った名称らしい。ユアエルム以外無くなってますやん。

そんなエポラ通り、八千代台駅前のメインストリートとも言える繁華街として発展しているわけだが、やたらと外国人経営のエスニック料理屋が多いのは“千葉県の繁華街あるある”な展開か。韓国中国ニダアルヨはお馴染みのことだが、インド・ネパール系やらタイ料理屋まで、結構多国籍ぶりがマシマシのようです。

怪しいスナック・パブが入る雑居ビルの一角にはペルー料理屋まである始末。八千代市には「村上団地」という、千葉県最大級の南米系住民の集住地域が存在する。そのことと無関係ではなさそうにも思うんですが、まあ成田空港も近いし、外国籍住民の生活には色々捗る土地なんでしょうね。今回の機会で村上団地なども訪問したが、その事については後日お伝えしようと思う。


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