東武東上線のビンボー臭さもここだけは別格だ!板橋の田園調布らしい「ときわ台」 

板橋区

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「板橋の田園調布」と聞いてやってきたはずなのに飲み屋小路やちょっとアレな店があったりどこかお下品でそこがやっぱり板橋区らしいと思ったときわ台、しかし北口のロータリーを外れてしばらく歩くと確かに高級住宅街が現れるのだ。現在でも駅北側の放射状に伸びる道路と周回道路を中心にちょっとしたお屋敷街になっていて、南口の雑多な町並みとはまるで対照的である。

これなら板橋の田園調布と呼んでも何の違和感もあるまい。

そこが板橋区である事を忘れさせてくれるような場違いに豪華な白亜の宮殿。ときわ台には現在もこうした豪邸がそこかしこに存在している。一度訪れれば板橋区のイメージが覆される事請け合い。

豪邸率の高さにも息を呑む訳だが何故か宗教施設が多いのもときわ台の特徴。金光教や顕正会といった宗教団体の建物がちょいちょい見られる。

「プレジデント」の記事にあった所得分布図で、低所得者層が多い事を示す青色の海に沈む板橋区の中で唯一高所得者層が多い事を示す赤色で色分けされている地域、そこがときわ台なのである。下町一色と思われがちな板橋区でもここときわ台だけは別格なのだ。

そんな高級住宅街が誕生したのは昭和初期の事、東武鉄道が主体になって現在のときわ台駅北口一帯の土地を貨物操車場用地として購入したのだが、その計画が頓挫した後にこの土地が高台にあり住宅地として優良な環境にあった事に着目、じゃあ田園調布みたいに高級住宅街にしちゃえという事で「常盤台住宅地」が整備されたのだ。

このときわ台にある特徴に「クルドサック」と呼ばれる車が転回可能な袋小路が住宅地の中に多数設けられている事が挙げられる。クルドサックというのはフランス語でそのまんま「袋小路」の意味だが、これが部外者の訪問を防いだり色々防犯上効果があるらしい。

袋小路の中央には植栽があり、単に行き止まりという訳ではなく奥には歩行者が行き来出来る程の狭い抜け道がある。昭和初期における高級住宅街計画で車の通行を念頭に置いた街路が置かれる事自体、当時ではかなり珍しかったはず。

ときわ台にはこうしたクルドサックが全部で5ヶ所残っている。知らずに通り過ぎるだけではどうって事のない袋小路でしかない訳だが、これが計画的に整備された場所は日本全国探してもときわ台くらいしかないらしい。

高級住宅街を巡る周回道路には「ロードペイ」と呼ばれる住宅と道路の間のスペースがあって、これもクルドサックと同じく昭和初期の日本の住宅地整備では珍しいものだったそうで。

しかし当時は名立たる高級住宅街だったはずのときわ台も街開きから80年以上が経過してかつて豪邸が建っていたであろう土地も所有者の移り変わりで徐々に「小分け」されていたりもして実の所コインパーキングやアパート、それに普通サイズの一軒家も結構目立っている。

そして土地の細分化に反対する地元住民の抗議ののぼりも見られたりするのが現在のときわ台。板橋区で唯一の高級住宅街は結構キワドイ状態に追いやられているのだ。あの田園調布ですら同じ問題を抱えているのだから、ときわ台もあと数十年するとどうなるのか…

場違いな高級住宅街は駅前一帯の僅かなエリアにしかなく駅から4~500メートル程歩くと元通りの板橋区らしいごちゃごちゃした住宅街が現れるようになる。

常盤台住宅地の北側を東西に走る富士見街道沿いが古びた商店街っぽくなっているのだが駅前からの道路の突き当りにあるローソンから路地を挟んだ2階建ての飲食店ビルが実は2003年にある凄惨な事件が起きていた現場だったりする。

道路沿いはインド料理屋になっているが路地を入った脇の一面はスナック店舗が複数入居出来るスペースがある。しかしインド料理屋以外に入居している店舗はない模様。

ドアの前が物置きになってしまい封鎖されているがここが事件があったスナックの跡地。事件の記憶を隠したい一心か真っ白な塗装がなされている。


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