洲崎遊郭の跡地である江東区東陽一丁目界隈を引き続き探索していこう。
東京23区中でも人口増加が顕著だと言われる江東区だが、この界隈だけは古くから宅地化しているせいか、取り残されているような印象を受ける。
今でも遊郭の名残として、地区の東側は壁で遮られているので、地下鉄東陽町駅から近い割には行き来が面倒だったりする。
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洲崎遊郭の跡地である江東区東陽一丁目界隈を引き続き探索していこう。
東京23区中でも人口増加が顕著だと言われる江東区だが、この界隈だけは古くから宅地化しているせいか、取り残されているような印象を受ける。
今でも遊郭の名残として、地区の東側は壁で遮られているので、地下鉄東陽町駅から近い割には行き来が面倒だったりする。
引き続き、東京最大級の赤線跡「洲崎遊郭」の界隈を歩いていくことにしよう。
赤線廃止後半世紀も経ってしまった訳で、建物自体現存している箇所がとても少ないゆえ地元住民の中でも「ここに遊郭があったなんて」と思う人がいるかも知れない。
洲崎遊郭の中にも殆ど往時の建物は残っていないのだが「旧大賀楼」の建物は現在も立派な姿を留めている。
私の地元大阪では、飛田や松島を代表として今の時代にまで建物までもが忠実に残された「遊郭」が現存しているのだが、転じて東京の吉原にやってくると相変わらず風俗街である事は確かであるが、映画「吉原炎上」に見るような古風な建物も殆ど残されておらず、関東において建物自体が綺麗に残された遊郭というものは存在しないようである。
しかし赤線跡だった場所としては東京各地を見て回れば結構残っており、江東区の「洲崎」、墨田区の「玉ノ井」をはじめとして、当時の姿を偲ばせる遊郭独特の建築を残す場所はある。
なかでも洲崎遊郭跡は最盛期には吉原に匹敵する大規模な赤線だったという。その話を聞いて是非行ってみたくなったわけだが、「洲崎」と聞いてピンとくるような世代でもないわけで、それは一体どこやねんと思っていたのだ。
洲崎遊郭は昭和33年の売春防止法施行による赤線の廃止で街の歴史に終止符を打った訳であるが、吉原がソープ街として残る一方で洲崎は普通に住宅街化した上で現在に残っている。昭和43年の町名変更により「洲崎」は「東陽」に改称されたことで、地名は歴史とともに封印された。
「東陽」と言えば地下鉄東西線の「東陽町」の事である。浦安行きの快速電車に乗り換える千葉都民にとってはおなじみの駅。しかし洲崎遊郭へは一つ手前の木場駅で降りた方が近い。
地下鉄東西線の木場駅を降りた。このあたりは深川と呼ばれる古くからの下町エリアであり、遠い昔に東京湾を埋め立てて作られた地域だ。駅を降りるとあちらこちらに運河が広がっている。
「生まれ浪速の八百八橋」の逢阪から見ると故郷が恋しくなるような運河の風景だが、木場を含めた江東区一帯は近年の人口激増で、至る所に新築マンションが建っているのを見ることができる。だがその一方で古い住宅地も沢山残っているのだ。
東京には沢山の鉄道路線があり、実際に住んでいる者ですらその全てを把握しきれることは困難なほどだ。そんな中、JRの路線でも「京葉線」という路線が存在することを、年配者の一部は知らないかも知れない。
JRの路線では最も新しく、1990年に全線開通している。東京駅の本体から離れた有楽町寄りの地下ホームから、東京ディズニーランドの最寄り駅である舞浜を通り、海浜幕張、蘇我までを走る。市川塩浜より先は武蔵野線が分岐する、という路線。
首都圏の鉄道路線では最も海沿いを走る路線であり、強風のために最も運行トラブルが激しいことでも有名である。
なにも東京ディズニーランドの客だけがこの路線を使っている訳ではない。車窓からは倉庫街と工場と海しか見えない激しく地味な路線であるが、そこでも新興住宅地が芽を生やし東京一極集中の病的な側面を示している。
東京駅から京葉線の各駅停車に乗って3つ目。潮見駅で下車した。
あの東京駅から、たったの3駅目とは思えない、閑散としたホーム。
周辺には倉庫街しかないというのに、いびつな形で立派なマンションが建ち並ぶ。