【歌舞伎町と華僑たち】歌舞伎町のランドマーク「風林会館」は台湾華僑のビルでした

新宿区

日本最大の歓楽街とされる新宿・歌舞伎町。戦後の焼け野原の頃から大衆娯楽の一大拠点としての開発が進められ、一時期は無法地帯とも言える程となり近づくのも憚られるような街だった頃もあったが、すぐそばの都庁が目を光らせる中で浄化作戦が繰り返され、色々とゴタゴタはあったが今では外国人観光客が大勢闊歩するような、表向きには安全な街へと脱皮している。

新宿区 歌舞伎町

去年2015年の一年間の外国人訪問者数は1900万人を突破したと報道されている。前年2014年と比べても600万人増で、政府が2020年の東京五輪までの目標にしていた「年間2000万人」は余裕で到達する見込みとなっている。今、新宿・歌舞伎町を歩く雑踏の大多数が外国人観光客である。靖国通り沿いから見える歌舞伎町の眩いばかりのネオンサインは、外国人観光客が夢中でカメラのシャッターを切る格好の被写体となっている。

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外国人観光客の急増に伴い、歌舞伎町はそれまでのダークサイドな一面が嘘のように表の街並みから消え去ろうとしている。相変わらずお下品な異性接待店やら何やらありますけども、それよりも目立つのが薬局から飲食店から風俗店に至るまで英語はもとより中国語併記で「歓迎光臨!」しまくっている事だ。

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今、歌舞伎町の表通りを歩いているのは、大きなキャリーバッグや土産物を手にした中国人観光客ばかりだ。一昔前によくいた、どこか垢抜けない格好をした中国人民ではない、日本人の富裕層と然程変わらぬ身なりの良いリッチな中国人の姿である。彼らの強い購買力が「インバウンド消費」と呼ばれ、日本経済において無視できない要素となりつつある。

爆買い中国人観光客は知らない「歌舞伎町の中国マフィア」

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しかし、今からたった10年、20年前まで、歌舞伎町の中で「中国人」の存在は今とは全く違い、戦後のドサクサの時代から脈々と続いていた華僑社会とアウトローが入り混じった危険な力関係が街全体に暗い影を落としていた。台湾、香港、それから中国大陸、さらに韓国やコロンビア等ありとあらゆる外国人マフィア、そして日本のヤクザによって繰り広げられた抗争に次ぐ抗争の歴史。

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歌舞伎町の一角に残る薄汚れた雑居ビルが密集する路地「思い出の抜け道」、ここには歌舞伎町が中国マフィアの跋扈する暗黒時代を知る老舗の中華料理店「上海小吃」があり、まあここはゲテモノ好きが物珍しさから来る向きもあるが、本当に何を食っても旨いので年に何度か食事に来ているのだが、この路地にかつて存在していた北京料理店「快活林」で1994年8月10日に起きた「青竜刀事件」(快活林事件とも)は歌舞伎町を縄張りとしていた中国マフィアが起こした事件では代表的なものだった。

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青竜刀事件は当時の上海マフィアと北京マフィアの縄張り争いから起きたもので、実際に犯行に使われたのは青竜刀ではなく刺身包丁だったと言われるが、中国マフィア同士の抗争だったので象徴的にこの名称が使われるようになった訳だ。この事件では店長、従業員、客の三人が斬られてうち二人が死んでいる。

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この界隈のエピソードは後に馳星周の小説、金城武主演で映画された「不夜城」のモデルとなった事は有名だ。

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そして、そんな青竜刀事件の舞台となった路地のすぐ北隣にそびえるのが、昭和42(1967)年に当地に建てられて以来ずっと歌舞伎町のランドマークとして君臨している総合レジャービル「風林会館」である。このビルもまた、歌舞伎町の暗黒時代を語るにも語り尽くせぬ業を孕んだ建物だ。

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当初の歌舞伎町で大きな力を持っていたのは上海でも北京でもなく、台湾華僑だったという。歌舞伎町黎明期とも言える戦後の一時期、敗戦で心身ともに弱り果てていた日本人に変わって彼らは戦勝国民として勢いづき、戦後の歌舞伎町の発展を見抜いてその商才ぶりを活かし勢力を付けてきた。この「風林会館」を建てたのも台湾華僑の林再旺という人物で、現在も所有者はそのままとなっている。それから「風林会館」の「林」は、オーナーの苗字の「林」の一文字が付けられている。

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今だに風林会館の入口にはお下品な無料案内所なんぞがあって歌舞伎町らしい場所柄なんですが、時折人相の悪い客引きやホストやその筋の人が行き来するくらいで、それほど治安の悪さを思わせるものはない。しかしネット上で「風林会館」を調べるとグーグル先生は即座に検索候補の一つに「風林会館 危険」と返してくる。容赦ない。

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確かにこの界隈一帯、風林会館ビルもひっくるめてヤクザの巣窟のように言われる向きもあるが、いざ風林会館の中に入ってみると一階部分はフツーのドラッグストアが入居しているし、4階にビリヤード場、屋上にゴルフ練習場があるくらいで、入居テナントも他の飲食店ビルと大差ない。

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ただ普通のビルと違うのは、エレベーターホールの壁に英語で客引きとどうこうゴタゴタ騒いだら警察呼ぶぞこの野郎と注意書きが書いてある事くらいですかね。

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ともかく風林会館ビルがヤバイだの危険だの言われ勝手に尾鰭が付いているのもまんざらではない理由がある。このビルでも中国マフィアが絡んだ銃撃事件で死人が出て騒ぎになったからだ。しかも午後7時という時間帯に、風林会館1階の喫茶店「パリジェンヌ」の店内で起きた事で「歌舞伎町は危険だ」と全国区で噂が広まったのだ。で、この喫茶店は今でも同じ場所で現役営業中なのである。

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喫茶店「パリジェンヌ」も今では店内は綺麗に改装され、当初の半分くらいの大きさになってしまったらしい。客層もたまにヤバそうなのが来るくらいで、ネットで言われているような「客の半分はヤクザ」というオーバーな事もない。この店の中で2002年9月21日に中国東北系マフィアと日本の住吉会系組員との間で突如銃撃事件が起きた…という事はとても想像に及びませんね。

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パリジェンヌは昔も今も夜の街・歌舞伎町に生きる人々のオアシスとして午前3時まで深夜営業中。フード類が非常に充実しているし広々とした開放的な店内はなかなか居心地も良い。ちょっと代金は高いがショバ代+プラス用心棒代だと思って気前よく払えばいいのだ。あと、この喫茶店も風林会館の直営店である。

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こうして見ているだけだとなかなか気づかないものだが、今でも歌舞伎町全体の土地建物のうち三割が台湾華僑のもので、台湾以外にも香港や中国全土を入れると七割が華僑の所有地、とされている。「戦後のドサクサ」の結果がこれ。人権派や左翼な皆様に総スカンを食らっている石原慎太郎前都知事がつい「三国人発言」しちゃいたくなる気持ちも分からなくはないか。

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歌舞伎町二丁目に複数あるレジャービル「Leeビル」もその名の通り同じく華僑の利騰山さんが建てたビルアルネ。

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それから「風林会館」に程近いホストクラブ街にそびえる、ゴリラがぶら下がった赤いビルも大いに台湾華僑と関係がある。パット見歌舞伎町にはいくらでもある胡散臭い系の雑居ビルだが…

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そのビルに掲げられた看板には「台湾同郷協同組合ビル」の名前があった。これもそのまんま台湾華僑が所有するビルという事になる。これから歌舞伎町を歩く時は常に華僑の存在を頭の片隅においておこう。



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