2019年5月1日、これまで30年間続いた「平成」の時代が終わり、新天皇即位によって華々しく迎えられた「令和」の新時代…ますます昭和が遠ざかる…と年を重ねたオッサンオバハンが読者層の中心だと思われる当サイトも開設からはや11年…一周回って過去に訪れた都心の名昭和建築の数々が今どうなっているのか、気になったついでに現状確認を行ってきた。

で、やってきたのは東京都中央区銀座八丁目。銀座というよりも汐留とか築地市場といった都営地下鉄大江戸線の駅から歩いてきた方が近いロケーションにそびえ立つ、かの黒川紀章が手掛けた珍建築「中銀カプセルタワービル」の前。とうとう令和の時代になりましたが、なんということでしょう、まだ取り壊されておりませんでした。
令和の時代にもそびえる昭和の珍建築「中銀カプセルタワービル」は築47年

首都高…もとい「東京高速道路KK線」の高架越しに向かいの歩道橋の上からビルの全景を見るとこの通りである。大阪万博の余韻もまだ醒めやらぬ昭和47(1972)年に昭和の名建築家として名を馳せた黒川紀章の設計で建てられた「世界初のカプセル型集合住宅」。ここを我々が初めて見に行ったのは黒川紀章が没した2007年のことであった。

1970年代生まれの珍建築の数々のうちでも、黒川紀章の提唱した「メタボリズム」の代表作としてあまりに有名なこの建物についてのディテールは、改めてこのサイトで取り上げるまでもないが、掻い摘んで説明すると、13階建て140室ある部屋の一つ一つが取り外し可能な「カプセル」になっていて、老朽化の際には交換できる設計になっているにも関わらず、 一度もカプセルの交換作業が行われていない。

実際にはカプセルの交換作業は非常に困難な上に、しかも外壁内側の吹付け材にアスベストが使用されている問題がある。2005年、週刊新潮の記事でアスベスト汚染の件が大々的に報じられ、この事で新潮と黒川の間で訴訟沙汰にもなったが、アスベスト汚染は事実であるとして黒川の訴えは退けられた。2007年の時点で、既にマンションの区分所有者の総会によって取り壊しが一旦は決まったものの、解体工事の着手もないままその決議は無効となり、黒川亡き後10年以上が経った今もマンションの保存運動が続く中、その奇っ怪な姿を留めている。

傍から見ればせいぜい一室10平米しかないタコ部屋なわけだが、その唯一無二の建物に惹かれてやまない方々が事務所やアトリエにしたり、あるいは居室にしたり、またまた管理組合が禁止しているにも関わらずAirbnbで不特定多数の宿泊者を募る人間もいたりもしたこの物件。老朽化も著しく外壁には剥落防止用のネットでバッサリ覆われた一画もある。つまり実際に建物から“何か”が落ちたりする危険性が充分に予測されているということだ。

エアコンを設置している各室のカプセルからニョロニョロと伸びる配管の“有機的”ぶりといったら…これもまた見る人によれば“唯一無二の魅力”なのだろう。「メタボリズム」の思想から約半世紀もの長い年月がもたらした奇景の一つである。かつてはビル全体で空調や給湯を管理するセントラルヒーティングが機能していたものの、それが数年前頃から故障して使えなくなってしまい、こうなったらしい。

2009年撮影時の様子。140個あるカプセルもその大半が雨漏りなどで居室として使えない状態で、しかし部屋によってはエアコンもなかったり、水道はお湯も使えないので、一階にあるシャワールームに行かなければならないなど、ここで生活するなど長い時間を過ごす人間にとっては不便の連続でしかないが、わざわざここに住む人々はその不便な状況すら楽しんでいる様子である。

昭和の建築遺産としてこの建物を保存したいと思う人々がいるのは分からなくもない。しかし実際問題として中銀カプセルタワービルは老朽化が激しく、ビルの所有者である中銀グループとしては将来起こり得るカプセルや建材の剥落事故を防ぎたいのは山々のはず。だが実際には分譲販売を行ってしまった事によって多くの区分所有者が生まれ、マンション全体での合意形成が困難になった結果、「カプセルの交換」という本来の使い方が出来なくなったのが失敗の元である。

現在のところ、賃貸・分譲に関わらずちょくちょくカプセルの一つが売りに出ている事もあるようだが、賃貸であればだいたい賃料65,000円プラス管理費、分譲では800万程度といったところだ。先の解体決定直後には投げ売りされていたというが、保存運動で注目が集まったり、ここ数年の東京五輪開催に伴う土地上昇傾向もあって、こんなボロ物件でも販売価格がじりじり高騰しているらしい。

かつてビルの一階に展示されていたカプセルの一室。現在これと同じものが埼玉県立近代美術館があるさいたま市浦和区の北浦和公園の一角に移されている。
中銀カプセルタワービル一階のコンビニ「ポプラ」が閉店していた

そんな唯一無二の「中銀カプセルタワービル」の歴史もいよいよ佳境を迎えようとしているかの如き、試練の出来事が訪れた。ビルの一階で長らく営業していたコンビニ「ポプラ汐留店」がなんと閉店してしまったのだ。広島生まれのローカルコンビニで関東ではレア度が高いこの店舗、階上のカプセル住民には貴重な食料供給拠点だったのに、あっけなく閉店したせいでもはや「兵糧攻め」の様相を呈してきた。

しかも閉店したのはついこの間の4月26日のこと。ポプラ汐留店は令和の時代を迎える事はできなかったのである。で、ここが使えなかったらカプセル住民はどこで食い物を買うのか…と思ったが、少し離れたところにドン・キホーテもあるし、まあどうにかなるみたいだ。
去る2018年、この土地の所有者でもあった中銀グループはビルの底地、一階のこの店舗と二階の自社事務所、カプセル16室を別の不動産会社に売却、新所有者となったこの不動産会社から各カプセル区分所有者に対し「借地権の譲渡を承諾しない」旨が通知され事実上の売買禁止状態に。さらに同じ不動産会社が隣接する2つのビルを購入しており、再開発の意向を示している。
…そう、中銀カプセルタワービルはいよいよ解体に向けた動きが加速しているのである。
登録有形文化財指定か、それとも解体か、今が運命の分かれ目

中銀カプセルタワービル入り口の銘板。中銀って社名は何だと思っていたら、そのまんま「中央区銀座」なんですね…2007年に見た当時は「ビ」の字が健在だったが、今となっては濁点が剥落してしまい「中銀カフセルタワーヒル」になってしまった。ちなみに「プ」の半濁点はそれ以前からずっと無くなっている。
今でも保存運動を行っている団体による見学イベントは頻繁に行われているが、参加希望者が後を絶たない盛況ぶりのようだ。あと三年、2022年まで持ちこたえられれば築50年となり「登録有形文化財登録基準」としての条件を満たす事ができるというが…それまでもつんですかね?!