浜松町・東京三大スラム「芝新網町」を訪ねて (2)

明治の貧民窟、東京三大スラムの一つ「芝新網町」の痕跡を求めて浜松町二丁目あたりをふらふら歩いたが結局めぼしいものもなかったため、とっとと金杉橋を渡って南側の芝一丁目付近を歩きながら、芝浦花街のあった場所辺りまでを見物する事にした。
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浜松町と田町の駅間が長いという事もあるかと思われるがこの付近の街並みは都心にしては酷く寂れた印象を受ける。昔の地名で言う所の芝金杉川口町、芝金杉新浜町と呼ばれていた辺りをJRの線路沿いに歩く。


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途中で現れた「玉の肌石鹸」のネオン広告が妙にレトロ感溢れている。本社は浜松町ではなく石鹸造りの本場・墨田区にある企業だが、40年以上前から同じ場所に広告を掲げているらしい。
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浜松町~田町間の線路沿いはJR各線に東京モノレールが一同に走り抜ける交通の要衝と言うこともあるのでビルの至る所が広告スペースとなっていて凄まじい様相だ。他の広告看板がビルの屋上など割と高い位置にあるのに対し、長老的存在な「玉の肌石鹸」の広告は民家の上、2階の高さにどっしり腰を据えている。
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また、この付近は地味ながらも結構な規模の寺町を形成していて、圓珠寺、正傳寺、安楽寺、経覚寺、法円寺、勧勝寺といった寺がオフィスビルに紛れて密集している。こうした傾向も四谷の鮫河橋にある寺町とどこか印象がだぶる。
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鮫河橋の寺町は三銭学校といった貧民救済策を講じていたが、芝新網町についてはどうだったか不明。ただ近所の三田(芝5丁目のNEC本社辺り)には明治維新後初の貧民救済施設である三田救育所があった。
無味乾燥なオフィスビルに占領された印象が強い界隈だが、戦前から残っているかのような古い木造民家の姿もある。
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圓珠寺と墓地、その背後には巨大なオフィスビル。この風景が現在の芝金杉町界隈。
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JR線沿いに歩くと土手の石垣は古いままで、よく見るとマナー向上を促す注意文が書き込まれているのが見える。左端の字はかすれて半分読めないが、地元町会の書いたものであるという事は分かる。真ん中の字は「ゴミすてるな」。
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コンクリートの土台の上に書かれた右端の字はくっきりと読める。
「お互ひに清潔を心がけませう」と旧字体のままだ。いつ頃書かれたものだろうか。
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その傍らにある真っ暗で薄気味悪い桁下制限高1.9メートルの「新浜町ガード」もかなりそそられる。
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薄汚れて錆色が沈着した石垣に閉ざされた陰鬱なガードを潜り抜けると芝浦のオフィス街に、その先は日の出桟橋。
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さらに旧海岸通りを跨いで田町側へ。まっすぐ行けば田町駅に向かうが、その手前に凄まじく極狭建築な黄色い外壁のインド料理屋を発見。
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バラック風味でかなりそそられる外観だが、昼間の暇な時間帯なので客の姿はない。ここまで怪しい外観なのにインド料理店だというのがさらに輪を掛けて怪しい。
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JRの線路に沿うようにベッタリ張り付いて建てられている平屋建ての店舗である。タイミング悪く空腹ではなかったので入店は諦めた。また今度だな。
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よく見たら手前のガード下辺りにもインド料理店の看板が置かれていた。付近のオフィスワーカーがそこそこランチで使っていそうな、その名も「レストラン アミン」。
私待つわ、いつまでも待つわ、と言ってそうな店主がいそうな店だ。
そのうちまたこの場所を訪れたい。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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