コンクリートの長城・「防災団地」白鬚東アパート (1)

墨田区の隅田川沿いに長さ1.2キロに渡って延々と団地が長城のごとく連なる光景が見られるという話を聞いて以前から尋ねてみたいと思っていたが、先日ようやく現場を訪れる事ができた。

場所は隅田川左岸の墨田区堤通二丁目、最寄り駅は東武線の東向島か鐘ヶ淵になるが、白鬚橋を渡ると対岸が南千住・山谷地区という、なかなかロケーション的にも素敵な場所だったりするのだ。



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その長城のように連なる団地の正体は都営団地「白鬚東アパート」1~18号棟と東京都住宅供給公社のコーシャハイム1棟。昭和40年代に構想が練られ、昭和47~61(1972~1986)年に掛けて18棟の団地が連結して作られた。
団地のすぐ東側を並行して走る墨堤通りは白鬚団地に差し掛かると片側2車線に拡幅されている。そして団地を挟んだ西側は広大な緑地帯のある「防災公園」となっている。
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まずは白鬚橋のある南側から団地を縦断してみようと思う。白鬚橋は隅田川を跨ぐ南千住と向島を渡す橋として大正時代に建造されたもの。関東大震災後に当時の東京府に買収され、近代的な橋に架け替えられて現在に至る。
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そして隅田川と言えばホームレスのテントである。白鬚橋のたもとにも容赦なく掘っ立て小屋が並んでいる。目の前の防災団地などどこ吹く風である。もっとも川の対岸には東京最大のホームレスの聖地「山谷」があるのだから致し方なし。
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白鬚橋のたもとには白鬚団地の建設に際して予定地から立ち退く事となった町工場が代替地として移転してきた工場棟「白鬚東共同利用工場」が建てられている。

墨堤通りの前から見える2号棟の1階部分は店舗スペースとしてクリーニング屋や業者などが入居している。

墨堤通り側から見るとはるか向こうまで団地が延々と連なっている様子を眺める事が出来る。これだけの大規模団地は東京広しと言えどもあまりお目に掛かる事はないだろう。

団地に沿って店舗棟も並んでいる場所はあるにはあるが、潰れた店も多くあまり栄えているとは言えない。築20~30年程度でそれほど古くはない団地ではあるが、寂れ方が激しい。

2号棟、3号棟の間の連結部分。この団地が伊達に防災団地と呼ばれている訳ではないのは、この連結部分の特殊な構造を見ただけで理解出来る。

両側の棟の隙間に上から下までずらりと取り付けられた鉄扉は、震災などによる火災発生時の防火扉として機能する設計になっている。まさに見ての通りの鉄壁の守りである。
鐘ヶ淵界隈は戦災を免れた地区もあって、戦前から残る古い木造住宅に町工場が密集する街並みが未だに残っている。震災時の火災リスクが高いという事で、このような防災団地が作られたという。

墨堤通りを挟んだ鐘ヶ淵の住宅街が大火に見舞われた際は、この団地の西側の防災公園に避難すればOKという事らしい。
ちなみに墨堤通り側は住宅のベランダが連なっている訳だが、各戸ごとにちゃっかり防火シャッターが備え付けられており非常時にはシャッターを閉めれば延焼を防ぐ事が出来る設計になっているとか。

連なる団地を跨ぐために設けられた5つのゲートも、同様に防火扉が設置されている。南から順番に白鬚橋門、寺島門、水神門、梅若門、鐘淵門と、それぞれ名前が付けられているのだ。

防災公園側から見ると、団地の建物5階部分に等間隔に設置されている赤い放水銃が目に付く。これらも火災発生時には火の手から住民を守るために使われるものだ。

どこを見てもわずかな隙も感じさせない完璧過ぎる防災仕様。いささか過剰すぎやしないか?と思う訳だが、白鬚団地完成時から現在まで、これらの防災仕様が役立った事は一度もない。そりゃ災害がないに越した事はないが。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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