入り組んだ路地に小さなスナックや飲食店が密集し、かつての花街の面影を見せる四谷荒木町界隈。
四谷三丁目駅から荒木町の飲食街に通じる車力門通りは、わずかに下り坂が続いている。
先にも述べたように荒木町の中心はすり鉢状の窪地(津の守窪)になっていて周囲に谷へ下る階段坂が5ヶ所、それに唯一自動車が通れる坂道が1ヶ所通じているのみだ。
5つの階段坂の中にはコンクリートがボロボロになった不規則な形状の階段もあってそれぞれ個性が違う。マンションの敷地が迫る裏道的な階段坂は人の家のベランダのすぐ脇をかすめて昇り降りすることになる。
「すり鉢の底」に来ると路地裏の各所に石畳が残る場所がある。明治以降に敷き詰められたものなのか、それとも上屋敷跡があった時代からのものなのか。石畳が抜けた一部分には使われなくなったタイルが代わりに敷かれている箇所もあった。
これは江戸時代にこの一帯が美濃高須藩主・松平摂津守上屋敷だった時代に、屋敷を池に囲まれた庭園にするべく北東側に谷が開けた谷戸地形だった所をわざわざ谷をダム状に埋めて今の形になったもので、東京広しと言えども周囲四方が全て囲まれた窪地はかなり珍しいのだ。
荒木町にある5つの階段坂の中でも最も大きなものが東側に存在している「モンマルトルの階段」と呼ばれている直線階段。荒木町の地形が最もビジュアル的に実感できる場所だ。
この「モンマルトルの階段」の上から荒木町ならではの地形を観察する。
四方が囲まれた窪地という事は、雨が降ったりして水かさが増した時の為に窪地の外に水を送る排水路があったはずだが、それもちゃんと江戸時代に下水暗渠が作られていたというから驚きである。しかもそれが300年以上が経った今でも現役で使われているらしい(→松平摂津守上屋敷跡下水暗渠)
モンマルトルの階段の途中にはさらに民家の裏口を縫うように走る路地が隠れていて冒険心をくすぐられる。
そこを抜けると住宅街の先に階段坂の一つと、その向こうにはやけに物々しい巨大な鉄塔がそびえているのが見える。防衛庁市ヶ谷駐屯地の電波塔である。
「すり鉢の底」の北東端にある階段も「モンマルトル」ほどの規模ではないが直線階段になっていて、正面にそびえる防衛庁の電波塔が他にはない光景を作り出している。
すり鉢の底を抜けた上にも、かつての料亭街を思わせる古いコンクリート塀が見られる。
さらにその先、津の守窪を抜けた北側にも急激な窪地が見られる。手前の建物が取り壊されて空き地になっているせいで高低差が分かりやすくなっている。荒木町がすり鉢地形になる前の谷戸地の続きにあたる部分だ。
窪地の中を覗き見ると昔の建物の構造部分がそのまんま残っていて生々しい。都会のど真ん中に出現したマチュピチュ遺跡とも言えようか。
あとは津の守坂方面に単純に下り坂となっているだけだが、アパートの脇に崖が迫っていたりしてなかなか迫力のある住宅街風景が楽しめる。
津の守坂に出ると、綺麗に整備された車道が新宿通りと靖国通りの間を南北に貫いている。
その途中に「解脱会」という宗教団体の建物があって、傍から見ると近所の信濃町にある某団体の建物とそっくりだったりする訳だが、荒木町の金丸稲荷神社などにも寄進者として名前があったくらいで、昔から四谷荒木町の地に本拠地を構えているようだ(発祥地は埼玉県北本市)