東京には「しばられ地蔵」という変わったお地蔵様がおられる。読んで字の如く、本当に縄でぐるぐる巻きにしばられている何とも痛々しいお地蔵様だ。
以前たまたま訪れた文京区小日向(茗荷谷)の林泉寺のしばられ地蔵を見た時に、ここ葛飾区東水元の南蔵院が「しばられ地蔵の本家」だという事を知って一度そのしばられ具合を見に行こうと思っていたが、なかなかの僻地のため訪れる機会を逃していた。
水元公園内にしばられ地蔵の案内看板があるように、寺の場所は水元公園のすぐ近くに存在している。正式名は天台宗業平山南蔵院。
案内看板に従って公園の外に出て路地を回り込む。南蔵院の周辺は住宅街になっている一方で野菜直売所なども置かれていて23区らしからぬ田舎臭さを見せる。
南蔵院の山門が現れた。600年以上の歴史がある寺ではあるが、元々は東水元ではなく墨田区吾妻橋にあったそうだ。関東大震災がきっかけで移転したらしい。
さほど広くもない境内。まあこんなものだろう。
戦前に移転してきた寺なので境内の建築物などはそれほど年季は感じさせない。
南蔵院境内には水子地蔵もあるが、こっちは縛られている訳ではないので注意。
境内のある場所に参拝者が続々群がっているのが見える。
問題の「しばられ地蔵」は境内正面奥に鎮座している。
ちょうど参拝者が願掛けのためにお地蔵様に縄を括りつけている最中だった。
傍らには一本百円で販売中の「願かけ縄」。一本一本結構な長さがあるが、お地蔵様を縛るのにそんな長さが必要なのかというと、現物を見れば一発で理由が分かる。
これが南蔵院のしばられ地蔵である。ぐるぐる巻きにされすぎて姿形が完全に見えていない。
足とか顔とか身体とかどこがどうなっているのやら。ビジュアル的にはかなり痛々しいぞ。
このお地蔵様がなんで縛られるようになったかというと有名な大岡越前裁き(大岡政談)に由来する。
享保年間のお話、呉服問屋の弥五郎が南蔵院の前で一休みしようと背負っていた反物をお地蔵様の脇に置いた所でうっかり寝込んでしまい、気が付くと反物が盗られて無くなっていた。
慌てて弥五郎が奉行所に駆け込んだ所、大岡越前が「盗人の所業を見逃すとは不届き千万なり」とお地蔵様を縛り付けて大八車に載せ連行。たちまち奉行所には野次馬が殺到するも、民衆に対して「奉行所に立ち入るとは不届きだ、罰として木綿一反を差し出せ」と迫り、野次馬達の差し出した反物を調べると、その中から盗品が出てきて、めでたく犯人逮捕と。
以来「しばられ地蔵」は盗難除けのご利益あるお地蔵様という事で信仰を集めているが、厄除だの縁結びだの色々とご利益に尾ひれが付いて祈願内容も様々のようだ。
絵馬掛け場にあったしばられ地蔵の絵馬は、随分デフォルメされて可愛らしくなっているが、こんなに生易しくないだろう。
実は毎年大晦日の夜に縄解き供養が執り行われ、1年分ぐるぐる巻きにされたお地蔵様の縄が解かれ素顔を現す(→詳細)
で、新年が始まるとまた次々と縄で縛られ始めるという。
東京23区最果ての下町にて大岡越前の時代からずっと続けられている変わった風習。地味ながらも細々と受け継がれていた。