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横浜の外れに存在する謎のミステリーサークル「旧米軍深谷通信所」を見に行った

厚木飛行場然りキャンプ座間然り、神奈川県内には数多くの米軍施設が現存している訳だが、横浜市の外れ「泉区」にも米軍の通信施設として使われていた土地があり、それが航空写真で見ると半径1キロにも及ぶ巨大な真円形をしていて見るからに異様で「謎のミステリーサークルかよ!」と言いたくなるくらい、あまりに気になったので現地を訪れた。

今回やってきたのは同じ横浜市と言えども、広大な市域の南西部の外れにある泉区和泉町および中田町というエリア。ここまで来ると藤沢市にも近く、徒歩圏内には以前訪れたマンモス団地「ドリームハイツ」もある。アクセスはJR戸塚駅もしくは横浜市営地下鉄ブルーライン立場駅からバスで来る事になる。

航空写真でやけに目につく巨大なミステリーサークル

この場所がいかに異様なのかは、航空写真や飛行機で上空から見ると一目瞭然である。ここは戦前期に旧海軍の通信基地として整備されていたものが戦後米海軍に接収され、そのまま米海軍の通信施設「深谷通信所」として使われ続けていた場所。ほぼ直径1キロの円形の空き地となっているが、通信技術の発達によって基地としては次第に使われなくなり、2014年6月30日をもって土地全体が日本政府に返還されている。

その真円形の空き地のやや東寄りのところを南北に貫く県道402号阿久和鎌倉線(かまくらみち)。ここは路線バスや自家用車も頻繁に通行している。路線バスも横浜市営ではなく神奈川中央交通。立場駅からなら徒歩でもなんとか来れる距離にある。

神奈中バス「通信隊前」バス停を降りると、航空写真で見た謎のミステリーサークルのちょうど中心部分に近い場所にいきなり辿り着けてしまう。このバス停や県道もそうだが、基地内の土地は中央部分の立入禁止の「囲障区域」を除いて返還前から結構な部分が野球場や耕作スペースとして使われ続けている。

バス停付近にある横断歩道の前には「深谷通信隊前」という名称の看板も掲げられている。近隣の戸塚区深谷町の地名から来ているのだろうが、米軍からの接収を受けた当時は戸塚区の一部だった事もあってか「戸塚無線送信所」とも呼ばれ、英語では「Navy Radio Transmitting Facility Totsuka」と表記される事が多いようだ。

バス停の西側の区画に旧米軍深谷通信所の正面ゲートがデデーンと鎮座しているが、もうとっくの昔から使われていない。ゲートの先が一般人立入禁止の「囲障区域」と称する基地中心部となっている。そのゲートの前には少年野球チームの関係者の車が多数駐車されている。

2014年6月の日本返還以来この土地は国有地として扱われているが、それから4年近くが過ぎた今も、基地内の建物および残置物や鉄塔などの撤去作業を除けば殆ど手付かずのまま放置プレイをかまされている模様。

「囲障区域」は全域がフェンスで覆われ未だに立入禁止のままだが、その内側にはまだ沢山の建物が残っている。その外側には車が通れる専用通路もあるにはあるが、見ての通りゲートで閉ざされていて入れないので、車で来た場合は正面ゲート前の駐車スペースに停めるしかない。

で、旧基地の中の「囲障区域」とやらを除いた土地がどうなっているかというと、ご覧のような広大な原っぱがズドーンと広がっているわけで、そりゃ野球だって耕作だってやりたい放題できるのも分かる。

旧深谷通信所の面積は773,747㎡で、よくある「東京ドーム」に例えると16.5個分の広さがあり、また近隣にあった横浜ドリームランドの最盛期の面積(132万㎡)と比べてもその半分近くある。周囲はすっかり住宅地として開発され尽くしているが、駅からも遠いこの場所に今更何を建てるのか行政も手をこまねいているのだろうか。

巨大な円形を描く通信所のちょうど中央部には高さ160メートルもある巨大な鉄塔がそびえていた。ここが米軍の通信基地として使われていた、シンボル的な鉄塔であるとも言える。この鉄塔も2015年末までには解体工事が終わり、現存していない。

旧通信所敷地北側にある変電設備もこの通りびっしりと蔦に覆われてしまっていて、この上なく退廃感を放っている。これも鉄塔と合わせて撤去作業で無くなる運命にある。

一方で県道を挟んだ東側の敷地はその大部分が耕作地として近隣住民が使い放題になっていた土地だが、畑を作っていた住民が高齢化したせいか知らんが雑草が伸び放題になっているばかり。昔の航空写真を引っ張り出すともっと派手に耕作していた形跡が伺える。

また、県道の東側に限ると円形の旧通信所敷地の外周部分を回る道路が走っていて、円形の縁を行き来する事ができる。さすがに直径1キロもある円形の外周部分を歩いていても「ちょっと曲がった道路」以上の印象を持つ事は難しい。

ちなみに、ここと似たようなものに千葉県船橋市にある旧海軍無線電信所船橋送信所の跡地に整備された「行田団地」という場所もあるが、ここの外周道路を歩いてもやはり大して面白くない。船橋に行田があり横浜に深谷があると思わず埼玉県民が反応しそうな共通点ではあるが、そんな埼玉の和光市にも米軍の通信基地(ラジオ送信所)が現存している。

あと同じ横浜市にある米軍の「上瀬谷通信施設」も深谷通信所から1年遅れた2015年6月30日に日本政府に返還、また「根岸住宅地区」も2004年の時点で日本返還が決定しており米軍関係者住民の大半が退去しているが、返還の条件として挙げられた代替地となる池子住宅地区の整備が進まない事から返還が遅れている。

なんかもったいない気がしないでもない旧米軍深谷通信所の土地、将来的には横浜市によって公園を中心としてスポーツ施設などを備えた公共施設が整備される計画が挙がっているようだ。恐らく近い将来、この独特な風景も見納めになるのだろう。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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