花街の痕跡・四谷荒木町 (2) 津の守弁財天・金丸稲荷

四谷三丁目駅北東にある「荒木町」はかつて松平摂津守上屋敷跡で、すり鉢状の窪地に佇む「策の池」の周辺に料亭街が連なっていたという昔の花街の歴史を残す場所である。
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策の池自体は今でもわずかながらに残っている。この池も昔よりはかなり小さくなってしまったらしい。徳川家康がこの池で乗馬用のムチを洗っていた事から「策(むち)の池」と呼ばれるようになったそうだが、江戸時代はともかく戦前の花街としての面影も、殆どマンションに建て替わってしまった今となっては残っていない。


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策の池の畔には「津の守弁財天」が祀られている。津の守(つのかみ)というのは言うまでもなく「松平摂津守」から来ている名称で、荒木町東側にも津の守坂という名前の坂が残っている。
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そういえば上野不忍池、新宿十二社池、井の頭池にもそれぞれ弁天様が祀られている。日本の弁財天信仰は奈良時代から続いているらしい。本来は古代インドのヒンドゥー教の神(サラスヴァティー)だが、完全に日本の神道に取り込まれている。
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弁天様を池の畔や水辺に祀るのも、サラスヴァティーが河の神であった事に由来している。長い時間をかけて国や宗教の壁を跨いでヒンドゥー教から仏教、神道へと信仰は伝わるものなのだ。不思議なものである。
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そんな策の池だが、池の底が泥で濁っていてお世辞にも綺麗とは言えない。片隅の弁天様もどこか居心地が悪そうである。
昔はこの策の池に滝が降り注いでいたらしい。それなりに立派な景勝地だったはずだが、今では料亭街も撤退してすっかりコンクリートジャングル化している。
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策の池の津の守弁財天前から石畳の階段を上がった所にも金丸稲荷神社という小さなお稲荷さんが建っている。隣は児童公園だが、場所柄だけあってサラリーマンの喫煙所となっている。
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この金丸稲荷神社も、荒木町一帯が松平摂津守上屋敷だった頃から藩主の守護神として置かれていた神社で、明治の廃藩置県後に庶民に土地が開かれてからも地元の崇敬を集めている。
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神社外周部分の石柱に記される地元寄進者一覧はついつい見てしまいたくなる。往々にして地元の有力者の名前が書かれているからだ。やはり料亭街だった名残りか、料亭の屋号が刻まれているものも多い。
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何軒かの料亭、それに伊勢丹の名前もあれば、一番右側には「四谷三業組合」の文字まである。芸妓置屋・料亭(茶屋)・待合(貸座敷)の「三業」である。花街であった事を示すこれ以上ない証拠だ。
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金丸稲荷神社の周辺にも小さなスナックや小料理屋がびっしりと軒を連ねている。さらに風情を醸し出す石畳の階段。路地は迷路のように入り組んでいて、慣れないと迷ってしまいそうになる。
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現役の僧侶が経営しているという「坊主バー」の看板も。荒木町の店はなかなかの個性派揃いである。
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金丸稲荷神社の前を曲がりくねって南北に通っている道が「車力門通り」。やはり夜の街ということもあるので、昼間にやってきても所々でランチメニューを扱う店が控えめに開いているだけで至って静かだ。
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スナックやバーに紛れて古くからの住民が生活をしている住宅も、周囲の開発の波とは縁遠く、そのままの姿を見せている。いろんな意味で「大人の街」だと感じさせられる荒木町界隈。

東京都新宿区
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