三軒茶屋駅前のDEEP闇市ゾーン、通称「三角地帯」を後にした我々は玉川通りを横断して南口の栄通り商店街の方向を進むことにした。
栄通り商店街はとりたてて闇市臭もなく平凡な世田谷の商店街といった感じの場所だ。そしてここからも駅前高層ビル「キャロットタワー」の姿を背後に拝むことができる。高層建築の少ない世田谷区ではかなり目立つ存在である。
商店街の一部分に昔ながらのアーケードがほんのちょっとだけ残った一画がある。おまけみたいなものだが。
三軒茶屋一帯は空襲で焼け野原にされてしまっているため、戦前の古い建築物は殆ど存在しない。近隣には駒沢練兵場などの軍事施設が集中していたため、この界隈が全て空襲の対象になったからだ。
東京では新宿百人町、大阪では鶴橋、焼け野原の跡には闇市が出来て、ついでにコリアタウンまで出来てしまうのが戦後史の隠れた法則なのだが、ここ三軒茶屋においても「三角地帯」に留まらず韓国系の店が目立つ。てっきり新大久保にしかないと思っていた「オムニ食堂」がこんなところにもある。
栄通りをまっすぐ突っ切ると下馬の住宅地に突入する。
下馬まで来ると駅前の喧騒からは解放され、閑静ながらも「世田谷らしからぬ」景色が現れ始める。
かつて駒沢練兵場だった広大な敷地に作られた「都営下馬アパート」の手前には「弘善湯」の煙突が立ちはだかる。
まるごと緑化住宅系の一品料理屋も現れていよいよ本格的に下町臭くなるのだ。
都営下馬アパートの外れにあたる場所にある、見るからに凄まじいオンボロ木造建築。
僻地の山村にあるような学校の校舎のようにも見えるが、「野砲兵第一聯隊」の兵舎として使われていたものである。空襲の難を逃れた数少ない駒沢練兵場の痕跡を残す貴重な建物の一つだが、そこでは何故か韓国国旗が高らかに掲げられている。
現在この建物は在日韓国民団東京世田谷支部に使われている「東京世田谷韓国会館」である。どういう歴史的経緯があったのか詳しくはわからないが、巡り巡って軍施設が民団施設になっているのだ。
相当な経年劣化が見られる木造家屋は今にも倒壊しそうな勢いの佇まいを見せているが、そこに韓国民団が入居していることでさらに濃密な雰囲気を漂わせているのだ。築100年の東大生の下宿・本郷館に作りが似てるし、おそらく明治時代の建築か?
裏手に回ってもやはりオンボロ建築だった。窓という窓には板張りがなされるなどして家屋としての機能を辛うじて保っているのだ。これほどの木造建築は東京広しと言えどあまり存在しない。駒沢練兵場に関する戦争遺構はこれだけに留まらず他にもさまざまあるようだ。


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