東向島・私娼窟の痕跡「玉の井」 (3)

この地に通い詰めた永井荷風が「迷宮」と言った路地を辿って、私娼窟の名残りを探索するのはなかなか根気が必要で、方向感覚に自信があるはずの我々東京DEEP案内取材班も玉の井界隈の街並みを把握する為に何度も足を運んだ。
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「ぬけられます」の看板も見られなくなった上に、かなり建物の数も減ってしまってはいるが、路地の至る所に明らかに遊郭建築だった住居の姿を発見することができる。終戦後から売春防止法施行のわずか10年少々の間でも、かなりの数の店があった事がうかがえる。


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墨田区の向島エリア全体に言える事だが、本当にここは東京なのかと思うばかりの光景が普通に転がっていたりして散歩に飽きる事がない。
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相変わらずどこを歩いても東西南北がはっきりしない。遊郭跡の一軒家に混じってこうしたボロアパートも非常に多い。
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密集した路地は防災上問題点が多いが、震災が起きた時の「建物倒壊危険度」でワースト3に見事ランキングしている地域がここ墨田三丁目界隈だ。確かに大きな地震が来たら一発でアウトになりそうな家だらけだ。
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この辺は道がややこしいので、銭湯「隅田湯」を目印に周辺を歩く事にしよう。
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隅田湯の前から東西に街を横切る少し広めの路地がある。昔のまま区画整理されずくねくねとした道を歩くと町工場か古い家ばかり。
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そんな道すがらキリスト教会の建物を見つける。さすが最強の下町・玉の井の街並みに合わせるかのごとく、掘っ立て小屋のような造りをした小さな小さな教会である。
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教会前に掲げられた「イエスのお言葉」が意味深。
人間社会が存在すれば私娼窟は何度死んでもよみがえる。玉の井はその歴史を終えたが、今では鶯谷どころかどこの街中にも夜な夜な中国人女性のポン引きがいるのだがどうなってるんだ東京は。
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隅田湯の西側から東武線の線路に並行して鐘ヶ淵駅方面に伸びる「西町買い物通り商店街」がある。ここまで来ると玉の井の私娼窟からは外れて普通に古い下町風景だ。
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鐘ヶ淵駅方面に近づくと徐々に町工場が増えてくる。ドサクサ紛れにガラクタが山積みになった町工場は見た目からしてヤバイ。
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再度東向島駅方面に東武線沿いの道を歩き路地に入ると、またしてもご立派な遊郭建築が現れる。2階部分の装飾は見事だ。
ちなみにそのまま行くと先程通りがかった焼肉玉の園などがある。
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遊女が客を見送ったと言われる2階のバルコニーもその当時のままの趣きを残している。
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路地裏にひっそり佇む遊郭建築のスナック、その名も「バーロジ」。この辺の飲食店は総じて営業しているかどうか見た目にはさっぱり訳がわからないというのが共通点。
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土地が持つ闇の歴史は包み隠され、既に玉の井という地名も駅の名前から消えてしまった。今では子供が何も知らずに街を闊歩している、至って健全な下町である。

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