三軒茶屋駅を降りて栄通り方面へ徒歩10分。平凡な一軒家が総じてイメージされる世田谷区にも年季の入った都営団地群が存在している。
「都営下馬アパート」だ。
かつて「駒場野」とも呼ばれた丘陵地に築かれた広大な軍施設「駒沢練兵場」を抱えていた土地に、東京都が戦後の高度経済成長期を迎えるにあたり住宅整備を行った。一番古い住宅は1958年竣工。もともと下馬引沢村があったことが地名の由来で、馬引沢の名に因んでここら一帯が駒沢と呼ばれていた歴史があるそうだ。
三軒茶屋駅方向から「弘善湯」の煙突を先頭に東西方向におよそ四十数棟の中層団地が並ぶ。
下馬アパートにあるのはほとんどが5階建ての団地であるが、道路に面した棟は1階、2階部分が店舗兼住居になっている所もある。
団地同様に年季の入った昔ながらの散髪屋がある。脇には小さく「聖教新聞 申込所」と書かれたホーロー看板が掲げられている。団地宗教の折伏大行進の歴史も非常に長い。
ふと建物の裏手に回るとそれぞれの住宅が好き勝手に外壁がサイディングされていたりとなかなかフリーダムな光景を見せる。
さすがに築年数が50年以上を経過している建物もあるので、建て替え計画が進んでいる模様。老朽化した団地には人の生活の気配が乏しい。
その割にはきちんと駐車場も整備されていて住環境は悪くないように見える。本来住宅困窮者のために存在する都営住宅に自家用車が持てるほど裕福な人間が住むというのもどうかと思うが。背後には在日韓国民団東京世田谷支部の韓国会館、元駒沢練兵場の野砲兵第一聯隊兵舎の超オンボロ木造建築がある。
下馬アパートの敷地中央付近にある巨大な角型給水塔は団地そのものの生き証人のように老いた姿を晒していた。
27号棟の1階には古い自転車屋もある。団地民の貴重な足である。世田谷区でもこの界隈は丘陵地の中でも比較的地形が穏やかで、三軒茶屋駅までは坂の上り下りをすることもなく辿り着く事ができる。
団地東端の43号棟まで来ると、すぐ東側には都道420号線を挟んで世田谷公園、さらに東側を見ると陸上自衛隊三宿駐屯地や自衛隊中央病院など、今でも軍都の空気が色濃く佇む防衛省ゾーンが広がっているのだ。