江ノ電の長谷駅と極楽寺駅の間を歩くと、その途中に御霊神社がある。平安時代後期の武将鎌倉景政を祀る神社だ。
6月中旬~7月初旬に来ると、境内にアジサイが咲く事から花見に訪れる観光客が非常に多い。神社の真ん前に江ノ電の踏切があって、正面からの境内への出入りは踏切を通らなければならない。
境内に入ると、確かに歴史の古い神社ではあるが、特にツッコミどころもなく落ち着いた佇まいを見せるのみ。
境内の裏山にびっしりとアジサイが植えられているが、もう時期を過ぎてしまったのか花は殆ど落ちてしまっている。
説明するまでもなく有名だが、御霊神社だけでなく鎌倉には長谷寺や成就院、北鎌倉の明月院などアジサイの名所は数多くある。開花時期にはただでさえ多い観光客がてんこ盛り状態で物凄い事になるのだ。
拝殿自体もそれほど大きなものではなく、観光客はアジサイの花目当てでやってくるだけで誰も拝殿に向かって礼を行う参拝者がいないという所が観光地鎌倉ならではの光景。神社にやってきて「パワースポット(笑)」などと有難がっているくせに肝心の神様は無視というのはいただけない。
特に変わったものはないか…と思って帰ろうと思ったが、ふと目に付いたのが拝殿手前の石段周辺に張り巡らされた玉垣である。
相当の年月を刻んだ玉垣、恐らく明治時代以前のかなり古いものであると思われる。こんな所に目が行くようになるとかなりマニアックな訳だが、意外に隠された土地の過去を知る手掛かりが出てきたりするもので、地味に見逃せない。
玉垣に記されている寄進者の名前を見て驚いた。
「郭 上林」「真金町 蓬泉楼」といった文字が書かれている。横浜真金町の遊郭の名が鎌倉の御霊神社の玉垣に記されているとはどういう事なのだろう。
寄進者の名には個人名他、どこぞの店の屋号が記されているのだが、やはり横浜周辺の地名が多く見かけられる。
さらに「人夫請負」に「土木」「砂利」の文字。いわゆる土建屋の屋号も多い。
御霊神社の玉垣に連なる寄進者の名前には近からぬ過去に生きた信仰者と当時の世俗が垣間見える。さすがに平安時代や鎌倉時代まで遡ると訳が分からんが、この玉垣が築かれたのは恐らく明治時代の事であっただろう。
しかし御霊神社に来て一番笑えたのが江ノ電の電車が来る度に起こる「撮り鉄」の殺到である。リア充カップルと家族ばかりかと思ったら、踏切の前には鉄ヲタと思われる汗ばんだ男どもがカメラを握って迫り来る電車を狙い撃ちにしていた。
鉄ヲタが殺到する度に傍らの警備員が拡声器で注意を呼びかける。観光地だからこそ見かけるカオスな光景だ。


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