鎌倉オカルトスポット 北条高時腹切やぐら

古い歴史を誇る鎌倉には数多くの史跡が存在している訳であるが、表の史跡もあれば裏の史跡もあるというもの。超メジャー観光地鎌倉においても、さっぱり観光客が近寄りもしない、不気味な裏の史跡も数多くある。
その中で最もヤバイ裏史跡の一つが、鎌倉幕府滅亡の地「東勝寺跡・北条高時腹切やぐら」である。鎌倉幕府第14代執権北条高時が新田義貞軍に追われ、菩提寺であった東勝寺跡の洞穴で一族郎党八百七十余名とともに自害した(東勝寺合戦)と言われる場所で、それは現在も残っている。
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鎌倉駅を出て、若宮大路の東側に並行する小町大路に入る(小町通りではない)。そのまま鶴岡八幡宮方面に道なりに北上すると、ちゃんと「腹切やぐら」の案内看板が出てくるのですぐに分かる。意外に駅から近い場所にある。


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ここからしばらく住宅地の中を進む事になるが、メジャーな鶴岡八幡宮と比べるとこちらは観光客の姿は全くと言っていい程無い。鎌倉幕府滅亡の地という歴史的にも重要な場所であるにも関わらず誰も訪れようとしないのは、不気味な祟り伝説が広まり「心霊スポット」として認識されているからだ。
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道なりに進んで行くと、滑川に架かる東勝寺橋を跨ぐ事になる。その先は葛西谷(かさいがやつ)と呼ばれる谷地になっている。
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橋の上から滑川を望む。それほど大きな川ではないはずだが、橋の上からだと結構な高さがあって渓谷のような姿をしている。直接川に下りる事が出来ない。
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東勝寺橋を渡った先に、未だ封鎖され因縁めいた雰囲気の空き地が現れる。ここが北条一族の菩提寺だった東勝寺跡。
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東勝寺跡には立ち入る事もできない訳だが、遠目に見ると崖下に洞穴がいくつか掘られているのが見える。
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道なりに突き当たりまで行くと、舗装が途切れて祗園山ハイキングコースと腹切やぐらに分かれる。確かに不気味な場所だが、目の前にまで民家が並んでいるので、それほど怖がるような場所でもない。
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そして腹切やぐらの入口には、このような物々しい立て看板があった。
「腹切やぐら 霊処浄域につき参拝以外の立入を禁ず 宝戒寺」
看板にある「宝戒寺」は先程の小町大路沿いにある寺で、北条一族を弔う為に後醍醐天皇の命で建てられた。
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ここから先は物見遊山で入ると祟られかねない。鬱蒼とした茂みに道が覆い隠されてはいるが、その先を見ると「腹切やぐら」の洞穴が真ん前に現れる。
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腹切やぐらはそれほど大きな洞穴ではない。だがここが鎌倉幕府150年の歴史が終焉した、因縁の地。
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だが、実際に北条一族が葬られた場所はここではなく、釈迦堂切通付近の釈迦堂谷奥山頂部のやぐら群(宝戒寺二世普川国師入定窟)だ。
付近の宅地工事でこれらのやぐら群が破壊されたそうだが、昭和41(1966)年に大量の生焼けの人骨と五輪塔が発見され、史実が明らかになった際、北条一族の霊を弔う為にこの場所に腹切やぐらが作られた。なのでこの場所で北条一族や高時が自害したという訳ではないとの事。
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腹切やぐらの奥には古びた五輪塔と供え物、大量の卒塔婆が掛けられているのが辛うじて見える。実はこの卒塔婆の中に俳優・高倉健氏名義のものがあって、同氏は北条一族の末裔で、毎年参拝に訪れるとの事。

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