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江ノ島の旧陸軍洞窟陣地跡

江ノ島岩屋も見た事だし、そろそろ島を出ようという展開になるのが普通だが、まだまだ江ノ島には見所が隠れている。戦時中に掘られたという洞窟陣地の跡だ。江ノ島に限らず神奈川県湘南、三浦半島辺りには旧陸軍の抵抗拠点陣地がいくつも作られ、来る本土決戦に備えていたとされる。
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その洞窟陣地跡へは何通りか行き方があるが、一番行きやすいのが稚児ヶ淵から海岸を時計回りに歩いて行く方法だ。片瀬海岸から往復する乗合船が出ている場所である。


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稚児ヶ淵の岩場にパラソルを立てて座る乗合船乗り場のオヤジと船待ちの客や磯釣りのオッサン達が集まる場所の目と鼻の先に、知られざる戦争遺跡が眠っている。
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乗合船乗り場のある岩場から江ノ島の海食崖を眺めると、確かに洞穴のようなものが見える。何ヶ所か残っているようだが、崖の侵食などで崩れている場所もあってどう見ても入れなさそうな場所もある。
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一歩一歩岩場の奥へ足を踏み入れると、その度に大量のフナムシがゴキブリのような動きで四方に散らばる。ちょっと気持ち悪いが、いちいち気にしていたらこの先へは進めない。
乗合船乗り場のそばには何軒か掘っ立て小屋が建てられたまま放置されているが、これは釣り人が寝泊まりするためなのか、ただの物置なのか、目的が定かではない。
時々、こんな場所通れるのかよ、と思うような難所もあるにはあるが、先人が作り上げた「階段」が用意されていたりするので、しっかり身体を支えながら進むと何とかなる。
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しばらく岩場を進むと、明らかに洞窟陣地跡と思われる洞穴が一つ現れる。あまつさえ洞穴の中にはホームレスのオッサンみたく掘っ立て小屋が建てられ、過去に人が生活していた痕跡を伺わせる。
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かつてはこの場所から本土に上陸する敵軍を狙い撃ちにするために砲台を構える陣地を置くつもりだったのだろう。本土決戦前に2つの原爆が落とされて終戦と相成るが、戦後は一貫して釣り人達の陣地と化していた模様。有効な平和利用である。
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しかしそんな洞窟陣地も今ではただのガラクタ置き場と化している。足の踏み場もなく洞穴の奥に入る事すら躊躇われる。これまで色んな人間がこの陣地を使っていたのだろうと想像出来る。
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小屋の前には最後の「住人」がそのまま置き去りにしたと思われる薄汚れたタオルが干されたままになっていた。
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さらにガラスもない「窓」の内側を覗き込むと、結構な家財道具が残っている事が分かった。ここでかつての住人は、かなり本格的に「暮らしていた」ようである。
自給自足の湘南海岸ホームレス村は今でも存在しているし、もしかしたらそういった野良生活が好きなオッサンが勝手に生活していたのかも知れない。身体が磯臭くはなるだろうが、なにせ目の前には良質の漁場もあるのだ。
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恐る恐る岩場を昇り降りしながらさらに先へ進む。ここに来る釣り人達は小慣れたもので、でかいクーラーボックスを肩に提げ、さらに釣竿や道具を片手に危険な岩場を楽々と行き来している。
しかしこの先は切り立った崖地が邪魔をしてどう見ても先へ進めない。満潮時と言う事もあるだろう。別の場所から崖を下るなりしなければ行けない所かも知れない。
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だがその向こうにはもっと本格的な小屋が立て掛けられているのが見える。この超有名観光地であるはずの江ノ島にも俗世間を捨てて自給自足の暮らしを続ける少数民族が今でも暮らしているのだろうか。ある種のロマンを感じさせる。
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帰りは面倒なので、釣り人のオッサンに聞いたルートで奥津宮に戻る事にしたのだが、思いっきり崖の斜面をロープを伝って登っていくような場所で冷や汗ものだった。ここまで来るなら、滑落死しないように装備や心構えに色々気をつけよう。事故っても当方では一切責任は負えません。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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