関東大震災の復興建築「九段下ビル」最後の姿

特別寄稿
関東大震災の復興建築・解体が始まった「九段下ビル」最後の姿

なぜ東京では古い建物をすぐに壊してしまうのだろうか?

震災復興で作られた孤高の共同建築、遂に歴史の幕が閉じようとしている

地下鉄九段下駅すぐの靖国通り沿い、俎橋を渡り僅かに神田神保町に入った目と鼻の先に廃墟同然の姿を長らく晒しながらも凛とした表情で建ち続け存在感を放っていた「九段下ビル(旧・今川小路共同建築)」が2011年10月にとうとう部分的な解体工事を始め、いよいよこの世から姿を消してしまう。

九段下ビルは昭和2(1927)年に関東大震災後の復興建築として、資本主義の父と呼ばれる実業家・渋沢栄一が発起人として設立した復興建築助成株式会社の事業として当時において最高の建築技術の粋を集め築かれた商業施設兼用の共同住宅である。

震災に負けない強い建物を作る為に鉄筋コンクリート造の共同住宅が作られたのは「同潤会アパート」の例でもよく知られているが、同潤会アパートが社会的に立場の弱い職業婦人やスラムクリアランスを兼ねていた事情があったのに対し、九段下ビルの場合は被災した近隣の商店主などで占められていた。

84年前の日本では地主の地権意識が強固で「家を地震で失くしてもまた同じ一軒家を建てたい」と思うのが常識の感覚であり、それ故に地主である商店主らの意見をまとめて資金を出し合い一つの建物を作り上げる事は難しい時代にあった。同様の復興建築の計画は東京のあちこちで挙がっていたが実現に持ち込めたのは九段下ビルが唯一の例である。

都市防災の理念を忠実に守り築かれた84年前の建物は、あの「3.11」東日本大震災の震度5強の揺れを体験してもビクともしなかったという。ちなみに九段下ビルより7歳若い、昭和9(1934)年に竣工したすぐ近所の「九段会館」では講堂の天井が崩落して2人死亡、60人以上の怪我人が出ている。

▲建物外観は外壁崩落に備えてネットで覆われている

▲隣接する商店兼住居の建物も九段下ビルと運命を共にする

▲解体工事が始まった「九段下ビル」。

▲入居していた商店の看板。業種が神保町らしい

▲建物裏側からは増改築を繰り返した跡が見られる

地上げ屋の攻撃に耐え続けてきた九段下ビル

九段下駅前、靖国通り沿いの立地の良さに、特にバブル期を中心に何度も地上げ屋の攻撃に遭ったが、1つのビルで地権者が多数居て複雑化していたため建て替えの計画が頓挫し今の今まで現存し続けてきた。
しかしそれも年月が経つにつれ、かつての商店主や住人も次々居なくなり、最近では喫茶店が「カリーナ」「東京珈琲」の2軒、そして最後の住人、画家の大西信之氏のアトリエ兼住居が残っていただけだった。

3階建ての九段下ビルでは1階部分が店舗、2階部分が1階商店主の住居、3階が貸事務所という配置となっていたが、老朽化で次々所有者が居なくなると3階部分は賃貸住宅に転用された。
九段下ビルは戦前、戦中、戦後と時代を潜り抜けてきた中で、様々な文化をも輩出し続けてきた。戦後の流行歌の発信基地であった「ニットー・タイヘイ東京吹込處」がここに置かれてきた事も有名である。

晩年ではいつ建物が取り壊されるか分からない中で、貴重な空間を留めているこの建物に魅せられて住み着いた文化人も多数居た。漫画家の一色登希彦氏や志村貴子氏、そして1996年から15年間住んでいるという画家の大西信之氏は現在も1階の片隅で生活を続けている。

九段下ビルはいよいよ2011年10月から部分的に解体工事が始まり、建物左側が防護板で覆われてしまった。やはり決定的となったのが3月11日の東日本大震災の影響であろう。

耐震防災の理念のもと作られた九段下ビルは震度5強の揺れにも何事もなかったが、地上げ屋は老朽化を理由にとうとう最後の住人に引導を渡すかのように解体工事を強行、喫茶店の主は工事の騒音に耐え切れなくなりやむなく店を引き払ったのである。

▲閉店を知らせる喫茶店「カリーナ」の張り紙

▲1階階段室。どう見ても廃墟です。

▲防護ネットの隙間を抜けてしぶとく成長を続けるサボテン

▲3階配電盤。2階、3階ともに廊下部分は封鎖されていた

▲九段下ビル最後の住人、画家の大西氏宅。

取り壊し直前、九段下ビル最後の姿

本当の「最後の住人」となった画家の大西信之氏が3階の空きスペースを使って貸しアトリエを開放している。アーティストの表現空間を提供するとともに、いよいよ建物の歴史に終止符を打とうとしている九段下ビルを一人でも多くの人に見てもらおうという目的がある。

そんな話を最近知って、これは行かなければならんと急いで九段下ビルへ趣き写真を撮りまくっていたのだが、偶然にもその場に居合わせていた大西氏に声を掛けて頂いて、ついでに写真を撮っていってブログやツイッターにどんどん公開してアピールして欲しいと言われ、1階のアトリエ兼自宅に招待させてもらった。

都心でこれだけの広さの貴重な空間を他に探そうと思っても無いだろうし、効率主義に走りすぎて無骨で没個性的で決まりきったビルやタワーマンションばかりが出来る今の時代に九段下ビルのような粋な建物が出来るような事もこれから無いだろう。

大西氏も次の部屋探しにかなり頭を痛めているようだ。もう取り壊されるのが決まった事だし、それなら出来る限り多くの人間に九段下ビルの存在を知って欲しいと願っているとの事。

外国に目を向ければアメリカやヨーロッパのどこの街でも九段下ビルを越える超ビンテージ物件がゴロゴロ転がっている訳だが、それにしても何故東京では古い建物がすぐに壊されてしまうのか…

もちろん日本は地震大国だから老朽化した建物は防災上の理由で取り壊されていくのは仕方がないのだろうが、それにしても東京では古い建物が惜しげもなく次々と壊され続け、年々着実につまらない都会になろうとしている。

▲階段室の窓は1段余分にあって実際の階数とズレているのだ

▲アトリエ開放中に一般公開されている3階部分

▲3階のテラス的スペースからは建物裏が間近に拝める

▲かつての入居オフィス「日交社」。出版関係会社だったらしい

▲1階右下隅は画家・大西信之氏のアトリエ。アメリカのアンティーク家具でいっぱい

▲キッチンの奥にはなぜかバスタブが…

▲アメリカ古物コレクションも引越しで行き場を失うかも知れない

▲大西氏宅のキッチン。土間のようになっていて一段低い

▲屋上も封鎖されていてすっかり物置場に

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