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【川崎国の闇】川崎市役所真ん前の土地で繰り広げられた血で血を洗う抗争…川崎区東田町「川崎案件」の昔の写真はこちらです

川崎と言えばコリアタウンとばかりに、これまで京浜工業地帯のおおひん地区や池上町などを重点的に回ってきた東京DEEP案内取材班。しかし川崎という街の実力はまだまだ底知れない。

またひとつヤバイ風景が見られるのは、なんと川崎市役所の真ん前にある「東田町」の繁華街の一帯。ここは「川崎案件」と呼ばれる土地転がしの舞台として長年、ヤクザが不審死するなどといった血で血を洗う生臭い抗争も起きていた場所。

2010年の取材当時はよもやそんな土地とは知らずにやってきたわけだが、まずは川崎市役所の真正面から東田町に入っていく。のっけから韓国料理店の看板が見えるのはもはやお約束である。

川崎駅方面から伸びる「仲見世通り」と交差する東田町の「平和通り商店街」を中心にハングル文字が並ぶいかにもなコリアタウン的街並みが広がっている。川崎のコリアタウンはおおひん地区に留まらずまだまだ広がっていたのだ。

東田町界隈がここまで高密度なコリアタウンだったという事は迂闊にも知らなかった。いまどき寂れるに任されている桜本界隈やセメント通りまで行かずとも、ここなら川崎駅から徒歩10分程度である。

数多い韓国料理店に紛れて韓国食品にビデオなどを取り扱うなんでも屋が立ち並ぶ。街の様子を見てもニューカマー系のコリアタウンだという事が分かる。

韓国料理店に紛れてキリスト教会だの何だのが乱雑に立ち並ぶ東田町の歓楽街。どう考えても錦糸町や西川口などと同じノリである。あまつさえ市役所の真ん前がこんな街並みだもの。さすが川崎って凄いよね。

しかし今回の目的は平和通りの一角に広がる、こちらの潰れた商店群。おそらく再開発で立ち退いた土地であろうと思われるが少し様子が変だ。

これは戦前建築だろうか。馬場商店と書かれた古い看板が掛かっているが市外局番が一桁である。旧字体で「紙石鹸」などと書かれている。

立ち退きとなった店舗群をまずは周囲から見て行く事にする。店の軒先には既に防音シートが張り巡らされていて、1階部分が隠されてしまっている。

さらに再開発エリアは「わかば通り」に折れて第一京浜に続く。こちら側は中華料理屋やスナック、居酒屋など飲食店が目立ち、いっそう建物の古さが際立つ。

ちなみにこの真正面には「パレール」という再開発ビル群が建っている。川崎市役所に面した市の中心地としてバブル期の1990年に出来たもので、川崎区役所も隣接している。

既に廃屋と化した商店群は解体される時を待っているかのようであるが、この地区の再開発の事をネット上で調べようとしても正面のパレールの情報ばかりが出てきて、こちら側の再開発の情報は全く現れない。

平和通りの一角にある再開発エリア、見るからに戦後のドサクサといった臭いが残り、咄嗟にDEEPアンテナが反応した。紙石鹸の馬場商店の横手から、路地裏へと潜入することにする。

細い路地裏に入ると、その両側にはまさに闇市とも言えるバラック家屋群がこれでもかと立ち並んでいる異様な光景を拝む事ができる。これらの家屋は殆どが立ち退きを終えたようで、雰囲気はゴーストタウンそのものだ。

バラック横丁には居酒屋などの飲食店だけではなく住居として使われてきた建物も多い。軒先に捨てられた洗濯機や自転車などの家財道具の存在が生々しい。

居酒屋の廃墟は玄関のガラス扉がムチャクチャに破壊されていて2階部分はもぬけの殻だ。放置されているうちに荒らされたのか、もしくは地上げ屋のヤクザにやられちゃったのか、詳しくは分からない。

居酒屋の玄関先には大量に積まれたゴミや廃材。

そして、路地裏に居座る一台の黒塗りワゴン車。それはいかにもな右翼の街宣車だった。ボディの横っ面には「八紘一宇」。

廃墟の横丁に佇む一台の街宣車はまるでこの土地を押さえた占領軍のように居座っている。見るからに闇市の名残りが残る土地で、ここでは未だに治外法権的なやりとりが続いているかのようである。「戦後」がそのまま保存されているかのような空間。

物々しい街宣車や廃屋群は、大通りである第一京浜の歩道からも眺める事ができる。一体この土地ではどういう戦後史が刻まれていたのだろう。

さらにもう一本並行するように走る路地裏がある。こちらはさらに道幅が細く、第一京浜側は封鎖されて入る事ができないので袋小路状になっている。仕方なく平和通り側から潜入する。

ここも同様に飲食店や個人宅が入るバラック家屋群が密集しているが、恐る恐る歩いていくと奥の方に人影が居た。まさかその筋のオッサンだったら厄介なので、早々に引き返した。こんなカオスな袋小路、路地裏マニアかヤクザしか通らないだろう。

周囲をまるごと防音シートで覆い尽くされた再開発ゾーンの中で、唯一一軒だけシートが被されていない二階建ての家屋が存在している。ここも何かの飲食店だったようだが、どう見ても営業している形跡はない。

「此の建物の解体を禁ずる 平成二十二年三月十九日」
立ち退きと解体を拒む、建物所有者による最後の抵抗を示す生々しい張り紙だ。それも比較的最近の日付である。

一体この土地で何が起こっているのか、部外者の我々には知る由はない。「困っている事、なやんでいる事、何でもお気軽に御相談下さい」と書かれた総合コンサルタント業のお店のテントが哀愁を漂わせる。店自体が凄く困ってそうに見えますが。

改めて一周してみると、かつては時計屋だった店のシャッターには雑居ビルの建設予定地であると書かれた看板があった。その下にある連絡先の団体名は、先程路地裏に止まっていた右翼団体の名前だ。すこぶるアウトロー過ぎる、川崎市川崎区東田町、平和通りの再開発ゾーンの一風景。

後にこの土地が有名な地上げの舞台「川崎案件」であると知った訳だが、ネット上で広く知られるようになったのは、そんな曰く付きの土地で殆ど更地化してコインパーキングとなった中、一軒だけぽつんと営業していた220円ラーメンの店「鳥竹」が話題になった2014年以降の事だ。

当取材班ではこの土地を2010年に訪問し、写真を撮って回っている。ある意味貴重な写真になってしまったかも知れない。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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