2015年2月20日早朝、川崎市川崎区港町の多摩川河川敷に面した「川崎河港水門」付近で、無残に殺された中学1年の男子生徒の遺体が放置されていたのが目撃された。被害者は近くの大師中に通っていた生徒で、加害者は所属していたバスケ部の活動で知り合った上級生の不良グループだという。詳細が知れるにつれて何ともはらわたの煮えくり返るような出来事なのだが、とうとう辛抱堪らず現場まで足を運んでしまった。
京浜急行のルーツで、川崎大師への参詣路線として整備された京急大師線、これに乗って京急川崎駅からひと駅目の所に「港町」という駅がある。みなとまち、ではなく、みなとちょう。駅ホームはリニューアルされ随分小奇麗になっているのですが…
この港町駅、その昔レコード会社「日本コロムビア川崎工場」があった土地で、その名残りとして美空ひばりの「港町十三番地」をテーマにしたオブジェや歌碑があったり、ホームの壁には音符が描かれていたりする。前はもっと場末感の酷い駅だった覚えがあるんですがこれも「音楽のまち・かわさき」の一環なんですかね…
うおぉ…電車の接近メロディまで世代的に良く分からないけど「港町十三番地」だ…と感心していたら観光客のおじさんに歌碑の前で記念撮影をお願いされてしまった。さぞかし美空ひばりに思い入れが深いんだろうなあ。ちなみに「港町十三番地」は昭和32(1957)年に発表された歌です。
京浜急行がこれだけ気合を入れて駅舎リニューアルを掛けたのには訳がある。駅前直結の出来たてホヤホヤのタワーマンション「リヴァリエ」がズドーンと2棟もそびえていて、京急電鉄及び京急不動産が事業主体になって販売しているのだ。あともう1棟が隣に建設中で、完成するとトリプルタワーになる予定らしい。
京急がせっかく気合を入れたタワマンをぶっ建てて川崎という土地に渦巻く負の因縁を知らない新興住民をガンガン招き入れようと奮闘している目と鼻の先で凶悪事件が発生するものだから、やはり川崎はどう転んでも川崎なんですねと、タワマンの眼下に広がる多摩川河川敷を歩きながら感慨に浸るのですが…
タワマンの数百メートル東側のところが、昭和初期に建造された「川崎河港水門」…そしてその水門の手前の河原が、この度被害生徒が発見された地点になる。既にかなりの数のマスコミが集結しており、固唾を呑んで事件現場を見守っていた。
遺体発見地点付近には沢山の花束や供え物が置かれていた。折りしもテレビ報道でイスラム過激派による残忍な手口がセンセーショナルに報じられたばかり、不幸にもそれに触発されたDQN集団の行為がエスカレートした末の事で、被害生徒の状況は無残極まりないものだったという。
痛ましい事件現場はもとより、当取材班はその場所にそびえている「川崎河港水門」を見に来たかったのだ。大正末期から昭和初期に掛けて、工業化の一途を辿る当時の川崎市が運河を開削する計画を立て、運河と多摩川を仕切る水門として昭和3(1928)年に竣工したというのが経緯である。
戦前期のモダン建築の意匠にありがちな特徴を汲んだ水門の両サイドに伸びるタワーのてっぺんには、当時の川崎市では特産物だった果物、ぶどう、梨、桃をあしらった装飾と、川崎市の市章が刻まれている。
しかし運河の計画は戦時中の戦況悪化を理由に、昭和18(1943)年に計画がストップ、部分的に出来ていた運河も、この付近の河口部の船溜まりを除いて埋め立てられてしまった。だが現在まで砂利運搬船の出入りの為に水門はきちんと稼働中。
殆ど飾りのような役目しか果たしていないようにも思えるが、それでもこの川崎河港水門は国の登録有形文化財、近代化産業遺産の指定を受けて、両プレートが誇らしげに掲げられている。
水門の後ろ側は橋が架けられていて、歩行者とチャリンコだけではあるが自由に行き来が可能となっている。近所の暇なおじさんおばさん達が事件現場を前に野次馬となっていたが、「中学生がこんな事をやらかすなんて、怖い世の中だよねえ」と呑気に駄弁っている。治安が悪いのが当たり前になると、もはや感覚が麻痺してしまうんでしょうか。
水門付近から河川敷を外れて住宅街の方へ向かう。恐らく犯行グループも通ったと思われる道筋だ。付近には多くのマスコミ関係者を載せてきた大量のタクシーやハイヤーが駐車している。特に黒塗りのハイヤーに乗ってきたのはどこだ。日本の大マスコミ様がいかに特権階級で貴族ぶっているかが良く分かる…
なお、犯行グループが被害生徒の衣服等を燃やしたという公衆便所は、徒歩10分程離れた場所にある伊勢町第一公園の女子トイレ。事件によって封鎖されている訳ではないようだが、ここにもマスコミ関係者の姿がチラホラとある。
女子トイレの内部は衣服が燃やされた形跡が壁中やそこらに生々しくすすとなって残されていた。犯行グループは個室内で被害生徒の所持品を焼いたようで、ここだけが進入禁止のテープが張られ使用不能になっていた。
現在、地元の警察では事件直前までLINEでやりとりをしていたという加害者である不良グループの事情聴取を行う方針だとの事。名前の出ない少年犯罪なので、真相は如何なるものかその全ては知る由もないが、いくら家の事情とは言えども平和な隠岐の島からこの土地に移る事になった被害生徒の運命を嘆く他無い。川崎という土地の恐ろしさを再確認した出来事だった。