先日川崎市川崎区で起きた中学生殺害事件は、その詳細が明らかになるにつれて世間にただならぬ衝撃を与えている。日本の凶悪少年犯罪史に残る出来事になるのは違いないが、当サイトでは以前からこの川崎市の臨海部特有の事情がある事を書いてきた。
しかし連日の報道で「川崎市の臨海部」が俄然クローズアップされる中で、またこの地域を訪問してみたい欲求に駆られた。目指すは川崎屈指のコリアタウンとして知られる、川崎区桜本という地区。最寄り駅がないので、川崎駅からバスをご利用下さい。のっけからヤクザの黒塗りベンツが目の前に路駐してあって早速濃ゆい。
川崎コリアタウンの中心となるのが、川崎区の大島・桜本・浜町という三地区で、一部ではこれらの地名の音読みを合成させた「おおひん地区」という名称が使われている。川崎駅前の大通り(県道101号)をひたすら川崎港方面に走っていくと「大島四ツ角」という交差点にぶつかる。この界隈に降り立つと、そこはパチンコ屋だらけ、飲み屋だらけ。下町バリバリの風情を放っている。
大島四ツ角交差点には他にも労務者用の作業服専門店、独身者には有難い弁当屋に酒屋と、まるで西成のドヤ街と見紛うかのようなラインナップの店が揃っている。実際ドヤ街みたいなものだし、さらに川崎駅に近い貝塚付近には日進町と並ぶドヤ街が形成されていた。
パチンコ屋に隣接してそびえる下町住民御用達の飲み屋街「大島四ツ角ほろ酔い小路」の看板がそそられる件。県道に面した側の酒場と、中央通路に入った中の店舗が十軒ほど。完全に地元民向けの仕様である。
ほろ酔い小路の中央通路を見ると、個人経営のマッチ箱のような間口の狭い居酒屋やスナックの看板と、なぜか足元にはビール箱が玄関の前に等間隔に配置されている。
オツ過ぎるデザインの店舗看板も注目度が高い。川崎臨海工業地帯は昭和初期からの工業化で勃興し、日本鋼管の軍需工場を代表とする一大工業地帯が形成され、戦後の高度経済成長期まで工場労働者の姿で栄えてきた土地。
川崎の臨海部を語るに外せないのは、そうした労働力として日本全国から、はたまた一時期統治下にあった朝鮮半島から渡ってきた人々の存在であり、その歴史は平成の現在まで連綿と続いている。酒場だけでなく労働者向けの大衆食堂も非常に多い。
また、大島四ツ角交差点に近い県道101号沿いには旧朝銀「ハナ信用組合」の川崎支店の建物も見られる。朝鮮総連傘下の「在日本朝鮮人川崎商工会」の事務所も兼ねているようである。
その先、産業道路方面に枝分かれして伸びる「セメント通り商栄会」の入口にはでかでかと「KOREA TOWN」と書かれたアーチ看板が掲げられていて、老舗の焼肉屋が何軒も並ぶソウルフルなエリアとなっている。
それにしても場所柄もあってかパチンコ屋の多さと来たら凄い。大島四ツ角付近だけでもパチンコ・パチスロ店が4軒もある。さらに桜本商店街にも1軒、極めつけには産業道路沿いにどでかいマルハンの店舗まで出来ている。川崎駅まで遊びに出ずともパチンコ漬けの暮らしが可能な街だ。
大島四ツ角から桜本方面に入っていくとまたしても在日コリアン系の「NPOアリランの家」事務所がある。主に在日コリアン高齢者向けのデイサービスを行っているらしいのだが、この建物は「朝鮮総連川崎支部」も兼ねている。
外観を見る限りはそれを分かる看板を掲げていないので、ふと前を通りがかってもここが朝鮮総連の施設である事に気付かないだろう。でも、朝鮮総連のサイトを見るとここの住所がバッチリ載っているので、間違いない。
大島四ツ角交差点の北東側に入ると桜本商店街(Lロードさくらもと)があり、そこと並行する道路を路線バスが行き交っている。やはり焼肉屋ばかりなのが場所柄である。駅から遠いぶん、地元民の足はみんな自転車。とにかくチャリンコをよく見かける。大阪や尼崎の下町を歩いているのと全く変わらない風景。
焼肉屋も多いが、共産党の事務所もやたらと多いのが地域の特徴である。戦前から工業地帯として栄えたこの地域は貧困と常に寄り添ってきた歴史がある。公明党と共産党以外の政党ポスターを目にする事がない。
そしてこの地区の地域性を象徴すると言っても過言ではないのが、桜本二丁目にある「川崎協同病院」の存在だ。267床を備える地域密着型の総合病院。戦後の昭和26(1951)年に開かれた「大師診療所」から始まった、現・川崎医療生活協同組合(川崎医療生協)系列の病院で、昭和51(1976)年に開設されている。
川崎協同病院というと、以前所属していた医師が植物状態の患者を家族同意の元「安楽死」させた事で最高裁まで行く刑事事件となり、日本の終末期医療の是非について議論を呼んだ事で有名な病院。ここでは様々な事情の生活困窮者を対象にした「無料低額診療事業」を実施している。この川崎医療生協というのも民医連、すなわち共産党系である。
人口140万都市である川崎市全体で見ても、「無料低額診療事業」が実施されているのはこの病院と同じく川崎医療生協系列の協同ふじさきクリニックの2軒のみ。さらに外国人住民に向けた無料の通訳も受けられる旨の案内まである。すなわち、現在でもこの街は貧困層に特化したサービスか享受できる環境が揃っている事が言える。
民医連は共産党系なので「守ろう憲法9条」のスローガンが掲げられた幟があったりするのが特徴的。隣の幟の憲法25条は「無料低額診療事業」の根拠である「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」云々の条文が示されている。
現在この街の住宅街を見てみると、高度経済成長期の勢いは感じられず、古くからのアパートやトタン張りの粗末な戸建て住宅が密集する路地が未だにそこかしこに残されている。神奈川県内でも人口あたりの生活保護費は川崎市がトップクラスだが、殊更その密度を上げているのが川崎区であろう。
工業化に伴う貧困問題がこれほど街の歴史と密接に絡んだ地域というのも関東広しと言えども川崎の臨海部ならではのもので、浅草あたりのような身分差別に基づく伝統的なものではない、日本の近代化以降成り立ってきた産業構造の最下層をこの土地で見る事ができる。大阪や尼崎、北九州などと並ぶ下層社会の根深い病巣である。