ヨコハマ戦後の暗黒街「黄金町」壊滅…ちょんの間廃墟が連なっていた2008年当時の街並み

横浜市中区

神奈川県最大の売春窟として戦後悪名の限りを尽くした横浜の暗黒街「黄金町」。その街の存在は戦後の闇市に遡り、あらゆる非合法組織による性的産業とドラッグの供給地として機能していた。

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いわゆる「ちょんの間」は21世紀に入っても続けられ、京急黄金町駅・日ノ出町駅に跨る高架下周辺でおよそ250店舗余りの飲食店を装った売春宿がひしめいていた。その多くは中国人や東南アジア系の外国人で占められていたという。

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当取材班が初めて横浜黄金町を訪れたのは2008年の始め頃であった。もうこの時期には神奈川県警による違法売春宿の徹底浄化作戦が功を奏し、高架下に沿って並ぶスナック群がことごとく空き家となり、暗黒街黄金町の歴史に幕を下ろしていた。

2006年頃にはこれらの店は空き地となり、黄金町はゴーストタウンさながらの状態に様変わりしていたという。

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プレハブ建ての小屋にいくつも同じような構造の「スナック」と、2階もしくは3階建てといった形で、1階で客を招き入れ、上の階で事に及んでいたという訳だ。

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凄まじい数のプレハブ群だ。それらの殆どには色とりどりのカーテンが敷かれている。営業していた時代の店の名前も隠され、かつての売春窟の主は跡形もなく姿を消してしまっている。

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なぜ比較的新しいめのプレハブ建てばかり並んでいるのか気になったが、これは以前は高架下の土地を占拠していた特殊飲食街が1998年からの京急の高架補修工事に伴う立ち退きで近隣の土地を買い占めて新たにプレハブを建設した為である。この時期に店舗数約100店舗から250店舗へと急激に拡大する。

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「売春飲食店を撲滅し 明るく住み良い街に!」

2008年の時点では、黄金町の特殊飲食街一帯でこのような物々しい看板を見かけることができた。こんなあからさまに書かれているような街は黄金町くらいのものだった。

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「外国人売春婦ストップ・エイズに関心を!」

「地域から売春をなくし暴力団を追放しよう」

非常に生々しい文言が並ぶ。現役時代の街の風情を出来れば見てみたかった気がしたが…

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京浜急行のガード下にもストップ・エイズを訴える行政の啓発看板がこれ見よがしに置かれていたが、これらも現在は全て撤去されてしまった。

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2008年当時では警察の環境浄化対策のための見張り小屋が高架下に設けられ、人っ気のない街中にちらほら歩いているのは警官ばかりという物々しい状態が続いていた。徹底的な対応で戦後から続いてきた私娼窟の歴史にピリオドが打たれたのだ。

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現在では空き店舗を利用したカフェスペースが出来るなど、徐々に普通の街として変化しようと地元のNPO団体などが活動を繰り広げているが、裏通りに入ると相変わらずがらんどうで薄気味の悪い街並みが残っている。

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プレハブ建てに限らず、この付近の古くからの建物の多くが私娼窟として使われ、今も営業をしている飲食店も、そんな暗黒街とともに生きてきた。

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こうした店も同様に街の暗黒史を刻んできたのだろう。他のプレハブ建ての小屋と同じように、見事に廃墟となったまま痛い姿を晒している。

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高架補修工事によって目新しい橋桁が顔を覗かせる京急の高架に、びっしりと無機質な鉄柵が覆い巡らされている。それは二度と高架下を売春街に使わせないという鉄道会社の意思の表れか。ある意味、これ以上閉塞感を漂わせる街はない。

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今やその姿を見る事も無くなったが、黄金町の存在は日本の戦後売春史を語るに外せない重要なものだ。大岡川の橋の上から横浜の街を遠目に眺めると、遥か遠くに映るランドマークタワーの存在が、この土地を横浜の一部である事を物語っている。

かたや横浜の光、かたや横浜の影。
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