港町ヨコハマの社会の底辺を支える港湾荷役労働者の集まるドヤ街として戦後に成立した「寿町」。横浜港は終戦後の昭和30年まで米軍に接収され、接収解除後に空いた土地に職安が出来て、簡易宿泊所業者が群がり、あれよあれよと言う間に今の姿になった。他のドヤ街とは違って成り立ちの歴史も特異である。
その寿町へは、JR根岸線石川町駅が最寄り駅だ。隣の関内駅からも徒歩15分程度で行ける。
駅の両方の改札で貧民街「寿町」と高級住宅街「山手」がくっきり区別されているという特徴的な街。迷わず貧民街へと歩みを進めると、オシャレな港町ヨコハマというイメージとは正反対のくすんだ街並みが姿を現す。
私が始めて横浜の寿町を訪れた時は、まだ日も昇りきらぬ午前五時半だった。ドヤ街の朝はとても早い。この時間からでも、寿町の中心施設である「寿労働センター」の前には大勢のホームレスらが座り込んでいる姿を見る事ができる。
一方、昼間にやってくるとやけにガラーンとしているのが西成や山谷との違いだ。街の規模はそれほど大きくなく、コアなドヤ街が形成されているのは住所で言うと横浜市中区寿町・扇町・松影町の200メートル四方のエリアに留まっている。
寿町エリアから少し外れると、普通に綺麗なマンションが建っていたりするので拍子抜けしてしまうほどだ。初めて訪れるには、少々場所が分かりづらいかも知れない。
寿エリアには住民票の無い人間を含めるとおよそ5~6000人程が生活していると言われているが、体感する限り人口密度的には西成の3分の1もない印象だ。
時折893のお兄さんらしき人や車も見かけるし、道端に堂々と右翼の街宣車が置かれていたりしていつ来てもなかなか香ばしい。
だが小さな寿町の中に限ってはことごとく別世界が広がっている。誰が書いたか、センターの案内看板には「寿の町自体が酒盛りの町!!」と。底辺の暮らしには酒とタバコだけが数少ない娯楽であることはどこの世界に行っても変わらない。
西成や山谷と同じく、センター周辺には慈善団体によるホームレスさんと市民のふれあいイベントが行われている。
特に盆休み期間中に開催される「横浜寿町フリーコンサート」では、この寿労働センターが野外ライブ会場と化し、数々のパフォーマンスが繰り広げられ賑わいを見せる。30年近く毎年続けられている息の長いイベントだ。2009年の開催予定は8月13日木曜日。
西成釜ヶ崎よりは二回り程小さいものの、こちらにも「無料職業紹介所」と銘打った公共施設が存在している。
西成のあいりん公共職業安定所と比べてもシンプルな作りの職安の窓口。もちろん日雇い労働の職業紹介になるわけだが、寿町の場合は何よりも横浜港に近い事もあって土木・建築といった仕事に加えて港湾荷役の仕事も多い。
だが町の高齢化や不況、経済構造の変化で、労働者の街から福祉の街に変わっているというのは他のドヤ街と共通している。
西成と比べても人口密度が低いのでそれほど殺伐感もない。労働センターの向かいには普通に保育所も置かれており住民が単身世帯に限らない事を示している。
もっとも、その住人も外国人比率がすこぶる高いのが寿町の特徴。
寿労働センターの入る建物は上層階が住宅になっており、さらに2階には公共の洗濯スペースやホームレスさんの娯楽場などに加えて「翁湯」という銭湯もある。まさにジジババしか居なさそうな名前の銭湯だが実際にこの町の高齢化は激しい。英語と韓国語で併記されているのを見ると外国人の利用者も多いことが伺える。
寿労働センターの2階から眺めた風景。隙間無く簡易宿泊所のビルが立ち並んでいる姿は圧巻。徒歩圏内には高級住宅街の山手居留地や高級ブティックがひしめく元町、それに中華街など横浜のコアなエリアが存在しているにも関わらず、この場所だけが忘れ去られたかのように存在している。