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横浜石川町・中村川の不法係留物件ウォッチング (1)

元町や中華街といった横浜の華やかな観光名所の玄関口であるはずのJR根岸線石川町駅。しかし同時にドヤ街寿町の玄関口でもあり、駅舎が跨ぐ中村川は幕末に外国人居留地を隔離して長崎の出島のような形にする為に掘られた人工河川。幕末以降急激な都市開発を経験する事になる横浜の地。都市の基盤を作り上げたのは全国から流れてきた貧民労働者である。
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そんな横浜のダークな歴史の名残りが、オシャレタウンの色彩が強い元町あたりの川沿いにしっかりとあるのだ。駅を降りて元町方面へ中村川沿いに歩いて行くと、不法係留物件が残る一角がある。


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中村川に沿って背の高い金網がコンクリート護岸に沿って設置されているが、何やら薄汚い小屋が乗った船上家屋っぽいものがその向こうから見える。すぐ背後にあるのはJR石川町駅だ。
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金網越しに船上家屋らしきものを確かめる。人が住めそうなスペースの小屋が船の中央にあり、鉄製なので塗装の一部が錆び付いていた。甲板の上にも沢山のガラクタが載せられている。
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この錆びついたデカイ船は海上での貨物運送に用いられる「ダルマ船」。昔から横浜の運河にはこうしたダルマ船が多数見られる。さらに甲板の右側に目をやると小型のボートが一隻、ドデーンと乗り上げているのだ。これはどう考えても個人の私物である。
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それだけでも十分異様に見える物件なのだが、岸壁の一角には出入口らしきものまであり、なんと郵便ポストまでこしらえていたのだ。「出入口につき」云々書かれてはいるが字がかすれて読めない注意書きまで見られるが、扉のようなものも見当たらないし、まさか柵の隙間から出入りしているのか?不思議。
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この物件が船上家屋として使われているのかどうか定かではない。まさかここに住んでいるのか?確かに戦後長らくの間は生活事情の厳しさからダルマ船を改装した船上家屋に住んでいた貧民が全国各地に点在していた。それが最後まで残っていたのが横浜だというのだ。
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特に横浜の場合は戦後に中心市街地の大部分をGHQに接収されて、ただでさえ狭い土地に路頭に迷った市民の姿が多かったのだ。戦後長い間、横浜の街は船上生活者で溢れかえっていた。昭和40年代までは恵まれない水上生活者の子供のために設立されたという「水上学校」があったのだ。
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今度は岸壁に面した船体の左側を見ていく事にする。使われず錆び付いたままになった古い自転車やら脚立、物干し竿らしきものが大量に積まれている。最後まで横浜に残っていた船上生活者のねぐらであり、仕事場でもあったのか。
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前方にはこれまた大量の機械類やドラム缶、ロープ、クレーンといったものが一通り置かれていた。何のために存在していた道具類なのか…持ち主の姿が見当たらないので何とも言いようがない。
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そしてこの船の真ん前に神奈川県が設置した「告示」の看板が置かれている所なんかを見ると間違いなくこれが不法係留物件で河川法違反である事を遠巻きに示している。だが行政は強制撤去する事もなく、おそらく所有者が亡くなるまで放置プレイを決め込んでいるのだろう。
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ちなみに寿町に近い側の中村川にも「船の休憩室・北斗星」なる一泊千円で泊まれる船上ドヤが長らく存在していたが、近年になって撤去されてしまった。こちらは所有者が死亡した事がきっかけで撤去に目処がついたらしいが詳しい経緯は謎のようだ。
しかしまだ石川町あたりの中村川沿いにはなんとも香ばしい不法係留物件がいくつか残っている。もう少し見て回る事にしよう。
参考ページ
石川町付近に不法係留されていた『船の休憩室』はどこに消えた?![はまれぽ.com]

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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