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【あなたの知らないヨコハマ】平成の最後に眺める、平成の始まりのバブル遺産モール「旧マイカル本牧」

30年続いた「平成」の時代がもうすぐ終わる。国内メディアでは「平成最後」と銘打って懐メロやら懐かしニュースやらを放送しまくっているわ、もうすぐ始まるゴールデンウィークの10連休で、いよいよ新時代「令和」への改元を迎えるわけで、なんだか日本中が盛り上がっているようであるが、そんな中で我々がやってきたのは横浜である。

ここは横浜の本牧という地域。ここは紛れもなく横浜における中心を成している「中区」に属する土地であるが、場所で言えば山下公園や中華街などがあるところから南にズレた一帯。近くに鉄道駅は無く、アクセスは横浜駅から片道30分もかけて市バスに乗って来るか、もしくは石川町駅や元町・中華街駅からやはり市バスで来るかという、陸の孤島のような場所だ。

さて、この本牧という街、幕末のペリー来航の時代から始まった港町ヨコハマの中でも歴史的にも重要なポジションを占める地域ではあるが、鉄道が今まで通らなかった事もあって、横浜の他の地域とはちょっと街の成り立ちとか雰囲気が違っている。

本牧と言えばかなり前に「チャブ屋」と呼ばれた赤線地帯の跡を探しに来た事ならあったが、そんな我々もなんだかんだ言って、本牧自体が今までほぼ見逃してきたに近いエリアだ。とりあえずメインストリートの本牧通りを歩くと、殊の外通行人の数が多いことに気がつく。

そして駅から離れた不便なエリアなのに、やたらと人口も多いし大型マンションやらURの団地やらもあちこちに見かける。なんだか南国ムード漂う「ベイシティ本牧南」というURの団地、ファミリー向け物件でも家賃は共益費込みで14万円を切る。横浜市の中心部から比べると割安感半端ない。

本当は地下鉄が来るはずだった街、本牧のランドマーク「旧マイカル本牧」

そんな本牧の中心地域を占める場所に、ちょっと古めかしさを感じるどでかい商業施設が鎮座している。「マイカル本牧」と呼ばれていたもので、バブル絶頂期の平成元年、今から30年前の1989年4月30日に、当時の横浜市内で最大級の商業施設として華々しく生まれたはずが、今ではビミョーな立ち位置に甘んじている。

もともとこの土地はアメリカ海軍横須賀基地横浜分遣隊の管理下にあり、終戦後から米軍に接収されて米軍住宅などに使われていた土地が日本に返還された1980年代以降、マイカルの前身であるニチイが主体でデベロッパーとなりバブルの勢いでガッツンガッツン開発し巨大モールが生まれた、という経緯である。

こういう古臭い系のモールを見てつい連想しそうになるのだが、関西で言う、尼崎市の「つかしん」にも似た雰囲気、ありませんかね。あちらは「なんとなくドイツ風」の建物だったが、こちらマイカル本牧は「なんとなくスペイン風」の建物で統一されている。バブル期の悪ノリっぷりがそこはかとなく感じられる事請け合いだ。

大阪発祥の衣料品店から小売業界大手にのし上がったかつてのニチイがバブルの勢いに乗って関東進出を始め、「マイカル」を名乗りだした頃に出来たのがこのマイカル本牧。完成当時は1~12番街(4,9は忌み数のため欠番)の合計10棟から成り、ディズニーストア日本第一号店だのシネコンだのホテルだのまでが揃った一大トレンディスポットとして君臨したが、その繁栄も長くは続かなかった。

そもそも本牧地域にはその昔横浜市営地下鉄ブルーラインが関内から分岐して延伸される計画があった。ところが地元商店主などが「買い物客が横浜の中心部に流れていく」といった理由で頑なに反対した結果、この計画は白紙化。本牧住民は陸の孤島状態のこの土地でバスに乗らなければどこにも出られないクソ不便な生活を続けるしかなくなったのである。正直マイカーがないと厳しいですね。

だがそれでもマイカル本牧の誕生で活気づいて、地下鉄の延伸に再び期待が高まった時期もあったというが、唯一実現性のあったみなとみらい線の本牧延伸もポシャってしまい、すっかりトレンディスポットとしての座はみなとみらい地区に奪われ、衰退に任せるしかなくなったのだ。

マイカル本牧は既に90年代初頭には廃れ始めていたという。バブルによる土地高騰でテナント料が上がり、商店が続々撤退、みなとみらい地区にランドマークタワーが開業した1993年以降は坂道を転げ落ちるかのような状態だったろう。莫大な初期投資が仇となった事に加えて運営会社のマイカル自体も経営悪化が深刻になり、たちまち2001年に経営破綻。その後マイカルがイオングループに吸収された2011年に「マイカル本牧」の名称も消滅、「本牧サティ」だった1番街が「イオン本牧店」に名称変更し今に続いている。

そうそう、マイカルと言えばここ旧マイカル本牧だけに限らずあちこちにバブル遺産を残している事で知られた企業である。山梨県にある会員制リゾートホテル「リゾナーレ小淵沢」(現在は星野リゾートが買収)の例もありますし…でも、マイカルのバブル遺産という括りで考えればこの場所が代表的なのは確かである。よく見りゃ「MYCAL」のロゴがくっきり壁に残っている一画がありますね…嗚呼、諸行無常…栄枯盛衰…

で、他にもこの通り番号のついた建物があちこち残っているのが「マイカル本牧」の往時の姿を思わせる。イオン本牧店となった1番街以外、5・6番街がそれぞれ別会社の運営する商業施設になったり、3番街と10番街のように駐車場になっていたりするものの、2・7・8・12番街の4棟は解体されて分譲マンションとかに変わっている。

何故かスペイン風味に統一されて作られた旧マイカル本牧の前の通りの名は「イスパニア通り」…なんという時代錯誤感…これもバブル期にしこたま儲け倒した、昭和の脂ぎったオッサンのセンスがギラギラ光っているとしか思えませんけれども、元々アメリカの土地だったものがスペインかぶれとは此れ如何に。

イオン本牧店と化したかつてのマイカル本牧1番街前のペデストリアンデッキ上の噴水広場に立つ。この噴水もわざわざ本場スペインからの“インスパイア”である。グラナダのアルハンブラ宮殿とやらに鎮座している「獅子の噴水」のレプリカである。

今となってはくたびれた土着老人の溜まり場でしかない、どこの田舎にもあるイオンと大差なくなったこの場所に置く噴水としては、存在が浮きすぎている。 しかも一部、獅子の頭が外れて壊れてしまった箇所まであるというオチだ。

今から30年前、まさしく平成の始まりにこの巨大モールは誕生している。それから平成の終わりを迎えようとしている今、ペデストリアンデッキの屋根の鋼材など到る所に老朽化の生々しい現状が伺える。補修工事してるみたいですけど、台風か何かでやられそうな危うさを感じずにはいられない。

イオン本牧店以外で唯一息を吹き返しているらしい旧マイカル本牧5番街改め「ベイタウン本牧5番街」。入居テナントがはま寿司にサイゼリヤ、すたみな太郎という見事な足立区的センスで統一されている。

その隣の6番街の二階にあるシネコン「MOVIX本牧」の残骸。2011年の閉館以降、跡地利用は不十分なまま。なんだか今は亡き大阪の「フェスティバルゲート」を思わせる空虚さだ。もはやマクドナルドくらいしか客の入る店がない。

そして同じ6番街の一階にはお約束どおりにお下品なパチンコ屋がジャンジャンバリバリと音を立てて営業しているのであった。

本牧自体がオシャレで素敵な港町ヨコハマのイメージで通っていたのはバブル崩壊前までの話だ。近所には本牧和田という高級住宅街もあるにはある生活圏だが、かつてマイカルが“一流”とやらを集めていた空間も今となっては気品の欠片もない。平成の時代に一瞬だけ脚光を浴びたはずの、この本牧という地域に、再び光が当たる時代は来るのだろうか…

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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