駅徒歩0分の場末空間…西武新宿線「中井」に残る小さな石鹸カタカタ鳴りそうな街並み

新宿区

高田馬場から西武新宿線で二駅目にある新宿区「中井」。先のレポートでは漫画家・赤塚不二夫ゆかりの地である駅周辺の商店街や、90年代に勃興し、後に高田馬場に移動したミャンマータウンの痕跡などを中心に見てきたが、まだまだこの街には気になるものがいくつかある。

それが、駅前一等地を東西に流れる妙正寺川の、どうしようもなく深いコンクリート護岸の底に沈む水面と、そこに面して断崖絶壁ギリギリにそびえる商店や民家の数々。こうして見るとなかなか圧巻ではなかろうか。

特にこのあたりの古びた中華そば屋「幸楽」の建物あたりは外壁にパッチワークのように貼り付けられたサビサビのトタン板といい、グッと来るものを感じないだろうか。こんな風景は、中央線沿線などに住んでいてもお目にかかる事は出来ない。

ある年代以上のオッサンにとっては昭和の歌謡、南こうせつとかぐや姫の「神田川」のメロディが流れてきそうな情景がそのまま残っている、小さな石鹸カタカタ鳴りそうな「中井」の下町めいた街並みを歩く。

駅前一等地・妙正寺川沿いの断崖絶壁長屋

あまりに気になった一画なので、建物を表側から見る事にした。既に廃業している中華そば屋「幸楽」のある辺りは四軒棟続きの長屋になっている。この並びにある店舗の殆どが廃業しているか、または廃墟同然になっている所が凄い。駅前ですよ一応これでも。

そしてこの場所に中井が昔地場産業として隆盛を誇っていた名残りとも言える、染物屋の看板がひっそりと残っていたのだ。看板の自体が昭和中期の趣き漂う「中村湯のし店」。隣の建物との隙間にこの看板が置いてあったが、隣の建物の建て替えで撤去されてしまった模様。しかし店自体は現役のようです。

ガチな下町だから残る銭湯とコインランドリー

中井駅から西側へ徒歩10分くらい進んだところに目白大学新宿キャンパスがあって、ここいらは学生の行き来も多いんですが、下落合から中井に掛けてかつて戦前に西武グループ創始者の堤康次郎が手掛けた「目白文化村」という高級住宅地の名残りのようになっていて、そこには現在の中落合四丁目や中井二丁目のあたりも含まれている。

そんな中井のお上品ゾーンと下町ゾーンを隔てる坂道。東から西に向けて一の坂から八の坂まで順番にございまして、坂の上と下では全く街並みが異なる点に注目しましょう。もちろん貧民街大好きな当取材班は坂の下をへばりつくように歩き回っております。先に触れたミャンマータウンの痕跡も当然ながら坂の下にある。

六の坂を降りたところの西武線の踏切沿いには早速貧乏下町的なコインランドリーが姿を表し平成の世に「リアル神田川」の世界を残しているのである。洗い髪が芯まで冷えそうな街並みですね。

コインランドリーの中もご覧の通りの昭和丸出し空間。学生の下宿といい老人といい独居世帯が非常に多い中井あたりはコインランドリーの密度もやたらと高い気がする。

最近は「進化型コインランドリー」というのが都内にも増殖気味で、事前にネット上で空きを調べられたりと利便性が増しているらしい。投資対象としてのコインランドリー経営も人気が出ている模様だ。つまり家に洗濯機すら置かない独居世帯がこれからも増えるという見込みからでしょうかね。

コインランドリーも多ければ銭湯も多い下町の法則。妙正寺川を挟んだ反対側に「三の輪湯」発見。近隣の落合なんかも含めると4、5軒はこうした銭湯が生き残っている。ここが下町じゃなければ一体何なのでしょうか。

やっぱりここにも沢山あったピンクの不動産屋看板

隣の下落合駅周辺もそうだったが、ここ中井にも新宿の例の某不動産屋のド派手なピンクの広告看板が街のあちらこちらに張り出されていて異様な光景を見せている。何度も同じ事を言っている気がするが、西武新宿線やJR中央線沿線の貧乏臭い街にはかなりの高確率で存在する。

おしなべて独居用ワンルームタイプしか無いと思われる某不動産屋の管理物件も中井の街にはたんまりとございます。礼金敷金仲介料トリプルゼロの驚愕物件…そんなモンに手を出すのはカネに困った曰くアリな方々ばかりなのだろうな。

同じ東京でも隣駅隣町レベルで住民の質が全く異なる事などザラにある。住環境を気にする方は「ピンクの看板」の有無は要チェックだ。


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