日本広しと言えども「新宿」ほどでかい繁華街はない。人口集中で肥大し続ける東京そのものを見るように、新宿という街も肥大し続けている。その力は、西新宿を超高層ビルが乱立する日本一の摩天楼に変えてしまった。
いまも、その摩天楼の下にある「オールドタウン新宿」が次々と再開発の波によって姿を消そうとしている。
西新宿の最果てにあたる八丁目エリアも例外ではない。新宿駅と中野坂上駅の中間地点、最寄りは丸の内線西新宿駅にあるこの住宅街の、すぐ背後にまで高層ビル街が押し迫ってきている。
昔からこの界隈はご覧のように低層ボロアパートが立ち並ぶしけた住宅街だった。
で、現在の西新宿八丁目は大規模な再開発計画が立っており、その対象となっているであろう土地のアパートはどこもかしこも封鎖されていて解体される時を待っている。
しかも、どのアパートもかなり年季が入りまくっていてビックリしてしまう。目の前が超高層ビルということもあってある意味物凄くシュールな光景を生み出している。
廃墟かと思ったらこれでもまだ人が住んでいるらしい。すげえ。
あるアパートの玄関。ときわ荘だなんて書かれていて情緒的である。雰囲気からして、もしや!と思ってしまった人は残念だが、手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄など有名な漫画家を数多く輩出した「トキワ荘」とは別物。そっちのトキワ荘はとっくに解体されてなくなってます。
この界隈のボロアパート残存率は半端なものではない。昭和30年代の風景がそのまま今に残っているといったところだ。しかしこれらの多くが再開発で解体される運命にあるのだ。
だが一方では今も住民のいるボロアパートも健在。さきほどの「ときわ荘」から真っ直ぐ来ると、十軒程のレトロなアパートメントが狭い路地の両側にひしめいている素敵な場所が残っている。
レトロアパートのうちの一つ「白雲荘」の表札。地名ももともとは新宿区柏木であったが、住居表示実施により1970年代には「西新宿」に変わっている。
白雲荘と並んで建っているアパートの名前は、それぞれ紫雲荘に、青雲荘に、瑞雲荘。ネーミングが昭和だぜ。
住所が新宿区西新宿のアパートとは思えない、優雅な土地の使われ方をしている。このアパートが出来た頃の西新宿エリアは、まだまだ原っぱの残る下町だったのだろうかと想像する。
車が通れるかどうかギリギリの狭い路地が縦横無尽に並んでいるのが中央線系住宅街の特徴の一つであるが、それはこの西新宿八丁目においても同じだった。
あと数年すると、ここいらのボロアパート群は見納めになるだろう。それまでに足を運んで置いた方がいい。
引き続き、西新宿八丁目の再開発エリアをふらふらと歩いていこう。
西新宿八丁目の西側、靖国通りと職安通りが合流して青梅街道にさしかかる成子坂下交差点付近に近づくにつれ視界が開けてくる。もう再開発工事が始まっていた。
既に住民の立ち退きが終わった後で、わずかに残る廃屋とコンクリート塀、それに工事の鉄柵がある以外は何もない。まさにゴーストタウンと化していた。
「成子天神社」の裏手だろうか。鳥居だけが見えるが、鉄格子に阻まれてその奥の様子を伺うことはできない。
以前ここに何があったのか、それすらもわからない状態だ。
至る所荒れるに任されているような状態だが、人の住まなくなった場所にはこうして容赦なく緑があらゆる物を飲み込もうとしてしまう。あと10年放置したら立派に森ができているだろう。
ある民家がガレージで使っていた跡だろうか、半地下式の倉庫の前に家財道具が無造作に放置されたままになっている。本格的に廃墟探検気分なんですが…
ここが街だった頃はどんな風景が広がっていたのか。四方八方に掛けられた鉄柵が辛うじて住居区画の境界を示しているだけで、他にヒントは何も得られない。
ふと、再開発エリアの中に現れた階段。それらは東京は坂の街であるということを示すが、町内会の防犯看板の通り、空き巣や痴漢やひったくりをしでかすような家も人もいない。
そうこうしているうちに、建物が破壊されていく様を見ることができる。生まれ変わった街はまたしても摩天楼か。
少し前までは古い銭湯や場末のスナックがずらりと並んでいたというこの界隈も、完全に更地になってしまっている。
鉄柵で区切られ入れなくなった敷地の向こうには階段が見える。その奥に見える森は「成子天神社」の境内である。
もう一本隣の道から行こうとしたが、坂道の途中で行き止まりになっていた。
道端で見つけた市街地再開発(組合?)を見ると、この界隈が成子地区と言われている事に気が付く。そういえば成子坂という地名もあるが、そんな名前の芸人コンビが昔居たということもついでに思い出してしまった。
副都心の摩天楼を正面に、いまも静寂を保つ「成子天神社」。菅原道真公を奉る天神様なのね。
皇太子殿下がどうたらという石碑もありかなり由緒のある神社だというのがわかる。
立派な神社だが、境内の裏手に七福神を祭った「成子富士」という裏山がある。しかし正月の時期だけしか開放されていないため普段は入れない。運良く入れた人はそれこそ「裏山鹿」と言われるだろう。
こんなテンションの場所が未だに新宿のど真ん中にあるという驚き。実に新宿は奥が深い。