小田原市早川にある早川河川敷に建てられた民家群の様子を確かめるべく訪れた東京DEEP案内取材班。その集落の入口には民団の「韓国人会館」があり、在日コリアンとの関わりがあるのは疑いようがない。神奈川と言えば川崎の戸手四丁目無番地が有名だが、そこだけではなかったのだ。
今も河川用地と思しき場所に立ち並ぶ人家の数は約十数棟。見た目は普通の家っぽく整備されているが、一方ではトタン葺きのバラック風家屋も多い。唯一の生活の動線であるはずの民家の軒先を通り抜ける細い未舗装の路地は、今なお戦後のスラムを彷彿とさせる。
民家が立ち並ぶ中、河川がある側のスペースは各戸の洗濯場兼家庭菜園となっていて生活感がすこぶる漂う。庭先にはムクゲが植えられている。言うまでもなくムクゲは韓国の花。いまなお在日としての自覚がある住民が植えたものなのだろうか。
そこには外の世界から隔絶された日常が広がっている。箱根観光に訪れる自家用車や観光バスに載っている一般ピープルには決して見える事のない風景。もしくは現実。
集落内は全てこの路地を通らなければ行き来出来ない。もしも大雨が降ったら路地がぬかるんで歩きづらくなるのは明白である。
あえてこの土地に住む住民は他に行く場所がないのだろうが、川崎の戸手四丁目のようにおおっぴらになる事もなく、小田原の片隅にひっそり佇む集落には戸手のように大規模マンションの建設計画が来るといったドラスティックな変化は訪れる事もなかろう。
川崎の群電前(池上町)でよく見かけたようなタイプの、青いトタン葺きの民家は空き家となってしまっていた。もはや限界集落化しつつあるのだろうか。しかし取り壊されるような兆しもない。
半ば荒れかかった風情すら漂う河川敷集落の現状。それでも何軒かは現役で人が住んでいて、生活の物音はわずかに聞こえてくる。
小田原市役所管財契約課によって立て掛けられた「官地につき立ち入りを禁ず」の看板が路地の片隅に置かれたままになっていた。見た目は河川用地だが、小田原市の土地なんですかね。
多摩川のホームレス小屋や戸手のバラック村にも言えるが、これらの家々が不法占拠で河川法に違反していても、憲法の生存権が優先されるために表立って家屋を撤去する事は出来ないのだ。
家々は他の地区と変わらず電気ガス水道のインフラが整い、文化的な生活が営めるように改良されている。しかし河川用地であるがゆえに都市開発の対象からはことごとく外されたままなので、家の外は河川敷の荒れた路地しかない。
見た目だけは清潔になった平成日本では珍しい風景かも知れないが、戦後間近の住宅に困窮していた昭和30年代には街中至る所にこのような風景があったはずだ。
半分くらいの家が空き家になってしまっているので、この場所もそのうちひっそり姿を消す運命にあるかも知れない。ただ21世紀の今でも首都圏の中でこれだけの規模の河川敷集落が現存する場所はかなり珍しい。
DIY感が素敵な平屋建てのお宅。自由奔放なスタイルで羨ましい限りだ。不況で仕事もない金もないとお悩みの氷河期世代以降の人間も生存権を脅かされそうになれば河川敷に家を建てて生存権を主張すればいい。そういう時代が現実的に訪れている。