思えば同じ都民でも京急線で、しかも各駅停車しか停まらない駅の前を歩き回る機会などなかなかないような気がする。品川から出発する京急の各駅停車に乗ると、旧東海道の宿場町に沿って線路が続く。どの駅で降りても、旧宿場町の名残を留めた懐かしい街並みを楽しむ事ができる。
鮫洲駅前商店街を免許試験場方向に進むと、旧東海道と交差する。
昔はこのへんで海岸が迫っていたそうだが今になってその名残を探すのは難しい。
かつて東海道品川宿があった旧東海道沿いに出ると、古い商店街が並んでいるものの総じて活気がなくシャッターが閉まったままになった店も多い。鮫洲駅前同様やはり23区らしくないテンションで、どう見ても地方の田舎町のしなびた駅前商店街のような風景だ。
旧東海道からは鮫洲の総鎮守「鮫洲八幡神社」の境内がちらっと見える。
昔は鮫洲界隈は漁師町だったらしい。
そういえば街全体に漂う風情がどことなくそれっぽいなあ、と思っていた。
鮫洲という地名自体も昔この付近の海岸に死んだ鮫が上がっていたからだという説もある。ちなみに鮫洲という住所は存在せず、この付近の住居表示は品川区東大井。
品川宿界隈はどこを歩き回っても時が止まったまま放置されたような街並みが続く。時折マンションも見かけるが、古くからの木造住居が圧倒的に多い。
鮫洲駅から海沿いに出ると勝島運河が現れる。免許試験場から鮫洲橋を渡った対岸に来ると、鮫洲が漁師町だった名残りのような船溜まりを眺める事ができる。
勝島側から見る鮫洲の船溜まり。屋形船も見かける一方で普通の漁船も多い。もっとも漁船は観光用の遊漁船であり、東京湾に釣りに出かける客を沖合いに向けて乗船させている。
船溜まりのある勝島運河の南側は「しながわ区民公園」として整備された時に埋め立てられていて、この運河は袋小路のような形になっている。さすがに海に近いためか、ほのかに磯の香りも漂っている。
勝島運河の南側は立会川の河口に接している。再び旧東海道沿いに戻るとえらく年季の入った橋の上を跨ぐ事になる。
浜川橋という名前だが、「涙橋」という通称の方が知られている。
この先には江戸三大刑場跡の一つである「鈴ヶ森刑場」がある。その昔、罪人が市中引き回しの上、この橋を渡って刑場に連れて行かれる際に罪人の家族らが最後の見送りを行った事から付けられた涙橋の名。
南千住・山谷の「泪橋」も近くに小塚原刑場がある訳だが、それと全く同じだ。
鮫洲に続いて立会川の駅前にも「天祖諏訪神社」がある。旧東海道沿いに神社が多いのを見ても信仰心の厚さに古い漁師町の名残を伺わせる。
涙橋を渡り「鈴ヶ森刑場」へと歩みを進めると、立会川駅まで続いていた宿場町の風情は消えてどこかしら寂しさが漂う。一体いつの時代のものかわからんような店舗兼住宅の建物もある。
途中、浜川神社と書かれた場所を見つけるが、完全にマンションの敷地内に収まった神社というのも珍しい。ここまで来ると、目的の鈴ヶ森刑場跡へはあとわずかな距離にある。