下北沢某所に存在する完全に廃墟にしか見えない生ける屍アパート「良忠荘」

世田谷区

世田谷区の下北沢と言えば、地方から上京してくる学生に人気の街で、当然ながら貧乏学生が住む下宿なんかも沢山あるのだが、タレコミで聞きつけた情報によると、この下北沢某所に「あまりに度を越したオンボロ下宿」が存在するとの事で、様子を見に行く事にした。

世田谷区 下北沢

それがこの「良忠荘」という建物である。場所は下北沢駅から徒歩10分程度の比較的大きな某通りに面しているが、道路拡張工事の途中で居座り続ける形でこのアパートが残っているあたり、私は曰くつき物件ですと自己主張しているようでなんともアレだ。

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アパートは二階建てで、外から見た限りでは十数室程の部屋があるものと思われる。だがよく見ると二階の窓が開けっ放しになっていて中から大量のガラクタや私物と思われるゴミが詰め込まれて訳の分かんない状態になった部屋まである。大丈夫なのかこれ?

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他にも窓ガラスが割れたまま放置された部屋まであったりして、完全に廃墟にしか思えない酷い状況を晒している。なのにいつまで経っても解体される気配がないというのが恐ろしい。

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このボロアパートがいつから存在するか、気になって国土地理院のサイトから過去の地図を引っ張りだして見たりもしたが、東京五輪前の昭和38(1953)年の地図にも既にこの建物の存在が認められた。建物の造りといい、昭和三十年代以前の建造物であるには違いない。

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このアパートやその周辺の建物は目の前の表通りから見て一段低い位置に建てられている。下北沢やその周辺は不動産人気も高い上に高級住宅街が多いエリアで、まず貧乏人が住めるようなボロ下宿はここのように一部が奇跡的に残っているだけで、どんどん少なくなりつつあるのが現実なのだが…

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表通りに沿って建物の裏側に回る。長年の年月が刻まれシミだらけになったボロボロの土壁と落書きが凄まじい退廃感を発している。これだけ古いアパートだと、恐らく風呂は無いんだろうな。

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裏手二階の細長く連なる窓は共同トイレのそれであろうか。この超絶オンボロ下宿で各部屋に一個ずつトイレがついているという事はまずあり得ないだろう。

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その横に取り付けられた勝手口のような木の扉はもはや使い道もなく、半ば朽ち果てた状態で置かれている。ドアやサッシが木製な時点で昭和三十年代以前の建物である可能性が高い。アルミサッシが一般化したのは昭和四十年代以降の事だ。

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せっかくなのでアパートの入口付近まで行ってみることにした。一階部分の建物脇の隙間にはかつての住人が残していった冷蔵庫や家財道具の数々が捨てられたままになっている。ここの住民には粗大ゴミ収集という概念が無いのだろうか。

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窓ガラスが割れた隙間から、かつての住人が暮らしていた部屋の一室を見る事が出来た。六畳一間というか三畳一間くらいの広さですね。現在の相場は不明だが、家賃はおおよそ2万5千円前後だったともいう。そりゃ下宿ですものね。

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そして最も驚いた事なのだが、このアパートはこれだけの廃れっぷりを見せておきながら未だに「人が住んでいる」というのである。玄関が開きっぱなしになっていたので、外から見える範囲だけ見せてもらった。下駄箱には昔の住民が残した履物が大量に埃を被ったまま放置されていた。

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よりにもよって、アパート入口の真上にこの寿司詰めガラクタ部屋の窓があるという凄まじさ。何か落ちて怪我しても自己責任なんですかね、もう。玄関脇には共同の郵便ポストの代わりを成した、各住民への郵便物が詰め込まれた段ボール箱と「アパートを移転される方は早めに申し出て下さい」との家主からの張り紙があった。

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もはや生命の危険さえ感じる超絶オンボロアパート、生ける屍のような佇まいで今なお平成日本の下宿学生の暮らしを支え続けているその勇姿に賛辞を送りたい。古き良き昭和の下宿ライフをカッペ学生憧れの街、下北沢の片隅で送る事のできる絶滅危惧種的アパートでした。

<追記>良忠荘は2015年9月頃に解体されてしまいました。


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