東京でも数少ない、戦前の下町の街並みが原型のまま残る墨田区北部一帯。京島から明治通りを挟んだ東側は、東京最大の皮革産業集積地ということも相まって、街の空気はさらにDEEPになる。
相変わらず街並みのほったらかしっぷりが半端ない。ここが本当に23区内なのか?!と錯覚してしまいそうになるが、紛れもなく浅草からほんの目と鼻の先にある場所なのだ。
明治通りから京成八広駅方面に向かう道を歩く。家屋や店の建物がどれも古いまま放置されているのも凄いが瓦屋の店の看板までDIY感が漂っていて面白い。そして相変わらずコンビニ一軒すら探すのも難しい、そんな街だ。
古い工場の看板にはここが食肉業者の社員寮であると書かれている。この辺から荒川河川敷に沿って大規模な皮革産業集積地が広がっているのだ。
肉屋の寮の裏手に入ると、工場の二階部分に沢山何かが干されているのが見える。
何が干されているかよく見ると「なめし革」が干されていたのだ。「なめし」とは動物の皮が腐敗しないように、またベルトや靴やカバンなど革製品に加工するために必要な工程である。
その近くには「こんにゃく稲荷」とも呼ばれる地元の総鎮守「三輪里稲荷神社」がある。境内入口には茅の輪が置かれていた。
ここまでやってくると、都市ではなく「村」のような様相を呈している。複雑に入り組んだ路地はちょっとした迷宮のように来訪者を惑わせる。時折地図を持ち出しながら現在地を調べることも度々。
銭湯で汗を流したい気分だったがまだ開いている時間ではなかった。どこを歩いてもすこぶる昭和の街並みである。
荒川河川敷に近づくにつれ住所は八広から東墨田に変わる。東墨田一帯は「木下川(きねがわ)」と呼ばれる大規模な皮革産業集積地帯。
東墨田に来ると、八広にあった町工場に加え、比較的規模の大きい工場が軒を連ねるようになるが、一部の土地は放置されたままだったり荒れるに任せる状況だったり、見た目にも殺伐としている。
火事で焼け落ちたのか知らぬが2階部分への階段がすっぽり抜け落ちてしまったにも関わらず放置されている危険なアパートを発見。
だが1階部分の廊下を見ると奥の方に人が洗濯の作業をしているのが見えた。大丈夫なのか?!
この日はたまたま街の油脂工場が「洗剤まつり」なるイベントを開催中で、工場で作られた石鹸や洗剤、食用油などが販売されていたり、工場で作った食用油を使った焼きそばが振舞われるなどしていた。
近くにある油脂工場。皮革産業で生まれる製品は肉や毛皮だけに留まらない。石鹸や洗剤も作られているのである。墨田区は石鹸の街でもあるのだ。
地区内には「都立皮革技術センター」もある。皮革産業は高度な技術職であるがゆえに技術そのものの伝承も難しいが、偏見に基づいた職種への忌避もあるので、一層難しい。
皮革産業の現場自体が普段の生活で触れる事のない場面である上に宗教上・生命倫理上の観点から誤解されやすいデリケートな産業であるが、そんな我々の日常のどれだけに皮革産業の技術がもたらされているか、一通り見学して実感してみると良い。