東京DEEP案内的・銀座の裏側 (2) 三原小路

毎日大勢の買い物客やセレブでごった返す銀座四丁目交差点のすぐ近くに「三原小路」という裏通りがある。

百貨店やブティックなどが目立つ銀座の目抜き通りから一歩内側に入っただけの場所だが、石畳の敷かれたお上品な路地が横切っているのが見える。



しかしちょっとした料亭が少し残っている程度で、小奇麗な路地裏が残っているだけといった所で面白みがない。
手前のあづま稲荷は戦後になって付近で相次いでいた火災を鎮める為に置かれたという。戦災で祀られていたお稲荷さんが消失した事が災いの元だったそうで、お稲荷さんを戻したところピタっと火事が収まったとか。
それはそうと、男連れの和服姿の女性とすれ違った。いわゆる銀座のホステスだろうか。国家公安委員長のスキャンダルは記憶に新しい。

だがこれで終わらないのが銀座の街の実力である。石畳の路地から晴海通り寄りの場所に袋小路状になった路地がまだ隠れているのである。

凄まじく年季の入った店の看板。見るからに老朽化しているのかして、既に半分程度が撤退しているようだ。焼肉に中華料理と店舗構成も銀座らしくない。

路地に入ると右側のビルに沿って左にクランクしている奥に怪しげな建物が残っている。

そこに現れたのは2階建ての飲食街だ。外壁は煤けて真っ黒になっていて、相当古い建物に違いない。この建物は「田村ビル」という。

こういういかにも怪しげな路地裏に怪しげな焼肉屋が潜んでいるのが、まさしく戦後のドサクサ的な雰囲気がするが、この建物も戦後の名残りなのだろうか。そういえば銀座一帯も関東大震災と戦災で2度も焼け野原になったと聞く。

銀座一等地の路地裏焼肉店、その名も「東京園」。安直すぎるネーミングが逆に印象強い。

焼肉「東京園」と中華料理「三原」の間に2階に上がる階段がある。その上には居酒屋があるようだ。

見上げると、どうにも入りづらい雰囲気全開であるが、事務所らしいスペースもある。よく見ると大京会という文字が見える。
表の看板にも関西調理士紹介所と書かれていたように、大京会は関西の板前が銀座に進出するための窓口だったらしい。関東大震災で壊滅した銀座の街に、当時活況を誇っていた大阪や京都から次々と割烹が進出してきたというのだ。

老朽化激しいこの田村ビルも、戦後間近に大地主の名前を冠して建てられたもののようで、三原小路もその頃に出来たそうだ。

既に撤退して使われていない店も多く、建物の奥半分は殆ど廃墟同然の姿を晒している。ラーメン屋だった「時計台」も既に潰れている。

黒地の看板「BARビルゴ」。後ろに生えているソテツの木もアクセントとなっていて昭和の雰囲気満点。田村ビルに入居している店の何軒かは数年前までは営業していたようで、最近バタバタと潰れているようだ。もしかして取り壊しの日は近いか?

三原小路の向こうに見えるビルの壁面が壮観だった。大蛇のように連なる幾つものダクト、ダクト、ダクト。大都会銀座のはらわたを見た気分だった。
参考記事
路地の再生「三原小路」 – 銀座15番街
銀座日本料理組合

東京都中央区
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