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所沢の遊郭跡・有楽町(うらまち)界隈を歩く (1)

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江戸時代から宿場町だった所沢には「浦町」と呼ばれる花街があり、明治・大正時代に栄えていた。街に織物商の姿が、飛行場が出来てからは軍人達の姿も加わりさぞ賑わったと言われている。
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浦町は小金井街道(江戸道)に並行して北側の東川沿いを走る裏通りに面して料亭や置屋が数多く並んでいた事から「裏町=浦町」と呼ばれ、「楽しみの有る街」として「浦町=うらまち=有楽町」と表記されるに至った。現在の地名も所沢市有楽町。東京の有楽町と同じく、ゆうらくちょうと読む。
小金井街道沿いに建つタワーマンションの脇から伸びる「海老屋横町」から有楽町に続く路地に入ると、かつての花街の面影を留める料亭建築が残っている。


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海老屋横町に入るとまず目に付くのが左側一面に並ぶバラック建築である。
一方で気になるのが反対側のタワーマンション敷地の小奇麗さ。
相変わらず、小金井街道沿いの一帯は乱開発で街がグチャグチャにされてしまっていて見る影もない。
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バラック建築群とタワーマンションの対比が凄まじい。この辺の家々が取り壊されてタワーマンションに変わる日もそう遠くないかも知れない。
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これらのバラック建築も1階部分が店舗として使われていたものも多かったようだが、今では生活感もなくひっそり佇むのみ。軒先には古ぼけたキリスト看板があった。
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この付近には古い民家が存在している。浦町界隈が「現役」の頃からあったものなのだろうか、それは分からないが。
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東川の向こうは有楽町(浦町)。川に架かる三浦橋を渡った右手側に、所沢の花街の名残りを留めて建ち続ける「三好亭」の建物がある。
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川沿いに建つ2階建ての妓楼は、所沢に唯一残っているもの。
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八王子田町遊郭跡で見かけた典型的な妓楼建築と共通する建物は住居として使われている訳でもなく、傍らに生け花教室の看板がある事からして恐らく習い事を行う時に使われている程度であろうか。比較的良好に保たれている。
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玄関の上には「埼玉県公安委員会許可(所)第56号 料理店」と記された小さなプレートが掛かっている。ここが風営法で規定された「料理店」であることを示す確たる物証である。
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右側の勝手口上部に筆書きの三好亭の屋号が見られる。昔のものらしく右から左に書かれてます。
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2階部分は窓が雨戸で締め切られている為、建物の内部を一部分でも見る事が出来無いのが残念ではある。今でもくっきりと形を留める矢羽根の戸袋がいかにも妓楼といった風情を見せつける。
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そんな三好亭の背後に迫るタワーマンションの姿が威圧的である。
浦町の遊郭は大正初期に日本初の飛行場である陸軍所沢飛行場が出来た時に、軍人の為の慰安施設を作る必要があると言う事で作られ、十軒近い妓楼やカフェーが並んでいたと言われる。
因みに埼玉県は表向き廃娼県だったのだが、実際は近隣都県に客が逃げる、もしくは遊女が私娼化してしまい風紀がかえって乱れるとの事で早くも有名無実化してしまっていた。
三好亭の建物は浦町遊郭の言わば最後の生き証人という訳だが、老朽化が激しい上に歴史建築物扱いもされておらず、そのうち取り壊されるかも知れない。
参考ページ
大正時代の所沢のまち
「人工樹林」高橋玄洋(所沢市)

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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