そうした区間を終えるとようやく荒川上流の中津川に沿って麓の集落まで延々と続いていく事になり、タイヤをパンクさせそうな凶悪な岩も減ってどうにか走りやすい状況になる。なお、ここまでにすれ違った車は一台しかなかった。携帯の電波はドコモですら圏外となる事が多く、もし途中で立ち往生してもJAFすら呼ぶにも困難だろう。
道中にはこのような豪快な切り通しもあって、通り抜けると真夏にも関わらず相当涼しい。この旧中津川林道をオフロードバイク愛好家がたいそう好むとは聞いていたが、その気持ちが分からなくもない気がしてきた。
さらに旧中津川林道ではまたしてもワイルド極まりない素掘りのトンネルも二ヶ所ほど通り抜ける羽目になる。昔の林野庁や東京営林局といった組織がこの林道をせっせと苦労してこしらえて、やっとの思いで長野県との唯一のアクセス手段を得たというのに、全体的に放置プレイぶりが凄い道路のままで、せいぜい酷道マニアしか来ないとあれば先人にとっては複雑な心境であろう
ちなみに長野県側の川上村役場から秩父市役所までは旧中津川林道を使わず佐久穂町・上野村経由で行くと約120キロ、中央道・雁坂トンネル経由で行くと約155キロ、しかしこの林道を使うと約80キロ程度で行く事ができる。まあ確かに抜けた先が埼玉のチベット奥秩父では、それほど交通需要が湧かないのかも知れんね。
そうこうしているうちに埼玉県側の通行止めゲートが置かれた「信濃沢橋」まで辿り着いた。ここまで来たらヤバい区間はひとまず終了。生きて家に帰れそうな事を感謝しても良い頃かも知れない。
この豪快な渓谷がやがては沢山の川と合流し「荒川」となって東京都市圏の貧民ベルト地帯をダラダラと流れて東京湾に流れ込むのだろうと延々と想像力を巡らせているだけでも感慨深いものがありますね。
ようやく人里っぽいものが見えてきたらそこが三国峠からの18キロの未舗装路の終点、奥秩父の広大な敷地の各所にキャンプ場や温泉施設「こまどり荘」などが点在する埼玉県の「彩の国ふれあいの森」の一部、中津川村キャンプ場となる。既に林間学校に訪れている小学生集団がわいわい騒いでいて、ようやく人の居る場所に出てこられたと安堵の溜息を吐く事になるのだ。
旧中津川林道は王冠キャンプ倶楽部付近で終わり、そこから下には原始的な山村集落が突如として現れる。奥秩父最奥の中津川地区の一部であるが、こんな凄まじい山奥に数軒程の平屋建ての掘っ立て小屋みたいな家屋がポツンポツンと並んでいる。ここに住んで何の仕事で生計を立てているのだろうか…やはり林業とか土木関係でしょうか。
既に空き家と化している建築年代の古そうな平屋建て家屋。板張りの壁に波トタン板の屋根という簡素な建材で奥秩父の厳しい冬の寒さを乗り切るにはかなりキツそうな造りとなっている。
恐らく時代の流れというものにすら無縁な空間である事には違いない。人間関係が面倒臭くなった方々にはさぞかし安住の地となりそうな住環境である。一匹の猫が道端にちょこんと座っている。お前は「埼玉県最西端の猫」か。
そんな埼玉県最西端の集落住民の愛車はバッチリ日の丸が描かれた右翼街宣車仕様。かっこ良すぎですよね。もう長い間動かして無さそうですけども。
人間の代わりに動物と仲良くなれるのが大自然の中での人の生き様というものでありまして、こちらのお宅は庭先に大量の犬と猫を放し飼いにしていてフリーダム過ぎる暮らしぶりをされておられます。「いらっしゃいませ ウエルカム!お待ちしておりました ワン・ニャン一同」と歓迎してくれるのは千葉県勝浦市の某宗教団体がらみのケーキ屋ですが、こちらはウエルカム感皆無なのでとっとと行きます。
途中「こまどり荘」という温泉兼宿泊施設の前を通って少し下ると中津川地区の中心集落となる。どうやらこの地区(秩父市中津川字中津川)には40人程度が生活をしているという。是非とも同じ埼玉県で最も人口密度が高い蕨市(14060人/km²)と比べてみると何倍の差があるのか一瞬計算してみたくなったが面倒臭いのでやめとく。
中津川地区と西武秩父駅、三峰口駅とを結ぶ路線バスの停留所。1日4本しかなく、殆どが三峰口行きのバスしか出ない。公共交通機関だけでここまで来るのは至難の業だ。
もう完全に原始的集落、日本の山村の原風景としか言えない中津川地区の街並み。ここから秩父市街地まで40キロ、片道1時間は掛かるし、浦和の県庁まで行くと130キロ、片道3時間を要する。やっぱりここの人達も運転免許の更新は鴻巣まで出てくるのだろうか。やっぱり面倒臭そう…
一応こんな場所でも「埼玉県知事選挙」のポスター掲示場がちゃんとあったりするので紛れも無くここは埼玉県の領土なのである。郷土愛ワーストワンの土地柄で東京しか向いていない県民にとって埼玉県知事選挙が終始しらけムードになるのは毎度の通り。結局現職の上田清司氏が当選(4度目)しましたね。
この先、奥秩父の有名廃村である「日窒鉱山」に行こうと企んでいたのだが、よりにもよって秩父地方に「記録的短時間大雨情報」が発令、凄まじい土砂降りの雨に襲われて再び生命の危険を感じ、結局雁坂トンネルから山梨に逃げる結果となった。奥秩父探索は当分先になりそうである。