2019年9月5日の昼頃、京浜急行電鉄「神奈川新町」駅前の踏切で快特電車と大型トラックが衝突、トラックの運転手1名が死亡、乗客にも多数怪我人が出る事故が発生し、その事故の様子がテレビやインターネット上で生々しく伝えられた。トラックに積んであった大量のレモンが散乱し、車両が激しく炎上する中、命からがら逃げ出す乗客の姿がそこにはあった…
で、この事故の当事者となった京急の「快特」がどんな電車なのかを知っている身からすれば、横浜川崎間120キロ運転がデフォの“赤い彗星”がマトモにトラックにぶつかった重大事故でよく死人が1人で済んだものだと逆に驚いたわけですが、まあともかく現場を見てみたい衝動に駆られたので行ってきましたよ。
横浜から3駅東京寄りのポジションにある京急神奈川新町駅。神奈川県名発祥の地であるかつての宿場町「神奈川宿」の最も東側にあるエリアだが、並走するJR京浜東北線の東神奈川駅と新子安駅の中間地点にあり、ローカル感漂う駅舎ながら特急電車や羽田空港に直結運転する「エアポート急行」の停車駅にもなっている。
知られざるヨコハマ下町空白地帯、線路と線路に挟まれた街
東神奈川と新子安の間のエリアはどこでもそうだが、JR線と京急線、国道15号第一京浜といった横浜と東京都心を繋ぐ大動脈が何本も密集して走っている都合上、その間の狭苦しい土地に無理くり住宅や商業施設が窮屈そうに建っている。駅前にも申し訳程度にオリジン弁当やまいばすけっと、ロッテリア等の商業施設が入ったビルがあるにはあるが、これが出来たのも割と最近になってからだ。10年前まではもっと“何もなかった”記憶しかない。
神奈川新町駅から50メートルほど歩いたところで片側三車線ずつあるだだっ広い幹線道路、国道15号第一京浜の「出田町入口」交差点にぶつかる。将来的には駅前に再開発ビルが建設され、国道を跨ぐ歩道橋と新しく建設されるペデストリアンデッキで繋がる予定らしい。ここから海側には倉庫と工場しかないと思いきや、意外にも大型分譲マンションが多数立ち並ぶ一画があり、神奈川新町駅の利用者はそこそこ多いようだ。
今回の踏切事故は、駅前にあるこちらの「神奈川新町第1踏切」で発生したものだ。京急ユーザーにはよく知られているが、横浜川崎間は大部分が高架化されておらず、住宅密集地のすぐそばの地べたを快特電車が爆走するのがお馴染みの光景となっているが、さすがに事故の直後だけあってか当該種別車両もかなり減速運転で踏切を通過している姿が見られた。
京浜急行電鉄の主要路線でもある横浜川崎間にあることから、ここの踏切の遮断器は分刻みで忙しく開閉する。ちょっと油断しているとすぐに警報機が鳴り出すので、足腰の弱いご老人やベビーカーを押すママさんにはキッツイところだろう。それに踏切内のアスファルトが酷くえぐれていた。おそらく事故の影響だ。 大きくへしゃげて傾いた快特車両、炎上した大型トラックや荷台から大量にぶちまかれたレモンも事故からわずか2日で完全に撤去されていた。
13トントラックがなぜ狭い路地に進入したのか?その経路を辿る
事故が起きた踏切からトラックの進入経路を辿ってみることにしよう。そこは京急線の線路のすぐ北側を並走する住宅地の路地だ。それも駅前一等地というにはあまりにやれた佇まいのボロ家が多数立ち並ぶ下町めいた一画である。ここを高さ3.8メートル、横幅2.5メートル、長さ12メートルもある13トントラックが通るのは、どう考えても異常でしかない。
生活感のプンプン漂う下町の一角、そのへんに土着民のオジサンオバサンが何人もいるのが見られたが、誰かトラックに異常を察して警察に通報するなりできなかったのだろうか。 しかし線路沿いの土手に近所の方々が勝手に建てたっぽい倉庫やら小屋やらあるんですが、横浜市はこういう建物に割と寛容なんですかねえ…
神奈川新町駅前から150メートルほど西側にある「笠䅣稲荷神社」付近で路地は駅方向に一方通行となる。神社の真向かいには車両通行可能なガードがあるが、桁下制限高は2.3メートルしかなく、件のトラックは恐らく隣の仲木戸(東神奈川)駅前あたりから路地に進入したものだと考えるのが自然だ。
しかも神社から駅側へ抜ける一方通行の路地は道幅が3メートル台しかなくなってしまう。長さ12メートルもある巨大なトラックがここに迷い込む光景を想像して欲しい。
そして駅前付近では道幅が3メートルギリギリ丁度にまで狭まってしまう。長さ12メートルのトラックがここで安全に切り返しを行い、T字路のすぐ右手側にある目の前の踏切を渡るのはあまりに無理がある。そこにある一方通行の標識が折れ曲がっているのは事故に遭ったトラックが車体をぶつけてしまったからだ。
東日本の人間にも知って欲しい「JR福知山線脱線事故」の記憶
踏切内で立ち往生していたトラックに120キロ運転がデフォの快特電車が遭遇すると、その制動距離は500メートルを越えるらしく、電車の運転手がよほど早く危険回避を行わない限りは非常ブレーキを掛けても間に合わない事になる。これまでJRとの客の奪い合いを熾烈に繰り広げてきた“ハマの赤い彗星”はここに来て「安全性の確保」という壁にぶち当たった事になる。
そもそも高架化もされていない区間で、しかも見ての通りの住宅密集地、大勢の乗客を載せて運ぶ生命線である線路と鉄道用地の外とを隔てるものが何もない箇所が見られたのも、素人目の意見でしかないが正直どうなのよこれ、と思ってしまう。もし悪意のある人間が何かを企むにも、この無防備さでは防ぎようがない。“カラスの置き石”レベルでも、いつ何か起こってもおかしくないと考えてしまう。
そういう背景を見るにつけ、この事故ではトラックの運転手1人が亡くなったが、それ以上の犠牲者が出なかった事はある意味奇跡的だったのではないかと思う。現場にいた野次馬のオッサンも死んだトラック運転手を無謀だと非難する声があったが、鉄道会社の過失責任が全く問われないかどうかという点には疑問符が付く。
JRと私鉄との“スピード競争”が招いた悲劇「JR福知山線脱線事故」(2005年)の記憶は東日本の人間にはてんで薄い。乗客数ではJR福知山線なんかよりも横浜東京間を走る各路線の方が圧倒的に多いわけで、その状況であれだけの事故が起きて、その程度の被害で済んで本当に“不幸中の幸い”だったなという他ない。
鉄ヲタに優しい京浜急行「新町検車区」と浦島公園
そんな京浜急行電鉄の歴史に残る鉄道事故の舞台となった神奈川新町には、一部の人間の熱視線を受ける裏名所が存在する。京急の真っ赤な車両が陳列されている「新町検車区」だ。時折神奈川新町止まりの電車が来ると、その電車はこの車庫に入っていくわけだ。
新町検車区を出入りする車両用に、京急本線とは別に踏切が設置されていて、ここも結構な割合で開閉している。神奈川新町駅前は二つの踏切が南北に鎮座する「線路と線路に挟まれた街」だということが実感できよう。
そしてひと目見てちょっと驚いたのが、新町検車区を出入りする車両が踏切の手前でわざわざ“撮り鉄”相手に停車して写真撮影のシャッターチャンスを提供するというサービスの良さを見せつけている事だ。イベント中でもないのに普段からこんな事、他の鉄道会社はやらせてくれますかね?京急がいかに鉄ヲタに愛されているか、この光景からも想像できることだろう。
神奈川新町駅そばの跨線橋の上からも頻繁に往来する京急の赤い車両を眺めることができる。今ではあまり聞かれなくなった京急名物「ドレミファインバーター」搭載車両の音もちょっと一癖ある駅員の「ダァシェリエス」(ドア閉まります)の声もここでは聴き放題である。
そんな新町検車区へ続く踏切の先にある児童公園「浦島公園」。現在は横浜ノース・ドックに移転した米軍の乳製品倉庫ならびに工場「神奈川ミルクプラント」の跡地に作られた公園である。付近一帯にある浦島太郎伝説の影響か定かではありませんが、公園の遊具には亀が置いてありますね…
しかも浦島公園の東側一帯、JRと京急の線路に挟まれた住宅地には「亀住町」という地名がついてましてですね…しかしこの界隈の町並みに漂うどうしようもない寂寥感、JR尾久車両センターのある東京都北区上中里界隈とかぶりますけれども…