桐ケ丘団地内にある「桐ケ丘中央商店街」についてのレポートは2021年9月に書き下ろされたnoteの有料記事で読むことができます。本レポートは2009年取材時の古いものとなります。
赤羽駅西口から赤羽台団地を経て、そのまま住宅地を進むと、駅から徒歩15分くらいの場所から現れる大型団地群、それが「桐ヶ丘団地」だ。
隣接する赤羽台団地同様、戦後の住宅難と東京への人口集中を踏まえて、旧軍用地だった敷地を大規模に開発して作られた団地である。
東京の団地と言えば高島平ばかりが有名だが、こちら桐ヶ丘団地は全部で5000世帯が生活する都内最大の団地なのだ。
赤羽駅からバスで来るのが通常の手段だが、場所によっては埼京線北赤羽駅や都営三田線の志村坂上駅の方が近いこともある。
赤羽台団地はUR都市機構の公団住宅であるのに対し、桐ヶ丘団地は都営住宅で構成されている。東側のE地区、西側のW地区、北側のN地区、南側の赤羽西アパート、あわせて146棟。
団地マニアが狂喜乱舞するのも無理はないが住民自身も帰る家がどこなのかさっぱりわからなかったりしなかったのだろうか。そういうのもすぐに慣れるものだけども。
赤羽駅から通るバス沿いの道にある団地棟の1階には商店街が形成されているのだが、団地が出来た当時とほとんど入居している店が変わっていないからか、やたら昭和の臭いが漂っている。
その微妙な寂れっぷりといい、他の団地では感じないオーラがある。
商店街に入ると案の定凄まじく昭和テイスト。それもそのはず、最初に桐ヶ丘団地が出来たのは昭和29年にも遡る。時間だけが過ぎ、住人は高齢化、やっぱり道を歩いているのが爺さんか婆さんしか居ない。
しかも駅に近い訳でもなく地形的にも坂を登った上に孤立するように存在する桐ヶ丘団地の中は時代の流れに取り残される度合いもそこらの団地とは一味違う。
広大な団地の中央にある「桐ヶ丘中央公園」に入る。人工的に造成された公園のはずなのにその中は完全に自然の森と化した空間が広がっている。正面のベンチにはよっぽど暇なのか知らんがしわしわ顔の高齢者住民がぽつーんと座っており何ともいえない哀愁を漂わせていた。
公園の中の遊具もいちいち古すぎる。かつては高度経済成長の時代を潜り抜けたであろう遊具の数々。今は子供の姿はない。経済大国として突っ走った日本と団地の栄枯盛衰の痕跡がここにはある。
朽ち果てんばかりに放置されるコンクリート製の滑り台。雑草が生える公園に子供の姿はやはり無かった。
超高齢化社会の波はこうした都営団地が最も顕著に現れる訳なのだが、ここ桐ヶ丘団地の高齢化率は50%以上とも言われている。2人に1人、下手すれば3人に2人くらいは爺さん婆さんだったりするかも知れない。
近未来の日本の姿としては象徴的に映る。孤独死とかも多いんだろうな。
得てして高齢化と老朽化でくたびれた団地には外国人がこぞって入居するものだが、この桐ヶ丘団地に限っては不思議と外国人居住者の姿はない。
単なる公園の砂遊び場のはずだが、ここまで来るともはや古代遺跡のレベルである。何かの儀式に使う祭壇かよ。
とはいえ一応地区内には小学校もあったり、公営プールなども存在する。いずれもくたびれた感は拭えない。子供もどんどん居なくなって、いずれ閉鎖されちゃったりするんだろうか。
しかしいつも思うのだが「いかのおすし」の合言葉、笑点「大喜利」大好きご老人のセンスはあまりに無理があるぜ。「お声を出す」あたり、特にセンスのなさを感じる。これ「大声を出す」でいいじゃん普通に。