京浜工業地帯のDEEPゾーン「鶴見線」界隈を巡る旅、沖縄南米タウンを堪能した後は「国道駅」を訪れた。完成した当時「国道1号」だった京浜国道、現在の国道15号がそばを走っているから国道駅という、なんとも安直なネーミングの駅は戦前の昭和5(1930)年に完成した。
この国道駅、他の追随を許さぬ程の見所を持つ。それは開業から70年以上経過しているにも関わらず当時のままの建物の構造が綺麗に残っている事だ。戦時中に米軍の機銃掃射で駅の構造物の一部が破損した跡がそのまま残っている箇所もある。時代を乗り越えて今も佇む駅舎の姿を拝むべく我々は訪れた。
国道駅の駅舎は高架のガード下に集約されている。アーチ状の橋脚と、その中央に置かれた照明、昼間でも薄暗い空間は昭和5(1930)年の駅開業時から何一つ変わっていない。
しかも珍しいのがガード下の両側がそれぞれ店舗兼住宅として機能していた事を示している所だ。かなり年季の入った「三宝住宅社」の看板。店自体は存在しないのに看板だけが残り続けている。
東京には他にも神田から有楽町までのガード下など戦前建築が残っている箇所もあるが、国道駅の場合駅前は繁華街化もしていないため、大して開発もされず原型を留めているのだろう。こう見ても駅周辺は住宅地になっているので、朝夕の時間帯はそれなりに駅の利用者もいる。
国道駅構内で現役バリバリ営業中の「やきとり国道下」。ネーミングが素晴らしい。
近年JR東日本では目下の所エキナカスイーツ(笑)化計画を進めておりどの駅も没個性的でオシャレな店が生まれつつあるわけだが、そんな時代の流れはどこ吹く風か。国道駅ほどそんなものが似合わない駅は存在しない。ただし開業当初は「臨港デパート」という商業施設があったそうだが、今ではそんなものがあった事など想像すらできない。
時折やきとり屋から客が出てきて向かいにあるトイレで用を足している。このトイレも半世紀以上人の排泄物を受け止めてきただけあって臭さが半端ではない。トイレの臭いも年の功である。
しかし近年では老朽化のあまりガード下建築の一部が閉鎖される事態となっている。居酒屋「国道下」に隣接した、共産党ポスターだらけのこの物件も現在封鎖されている。
既に朽ち果ててしまったかのような玄関口、ここは店舗にあらず、民家の入口だったのだ。既に日照権とか言ってるレベルではない。この部屋に住んでいた人は一体どんな生活を送っていたのだろう。
他にも何軒か民家だった物件が廃墟と化して放置され続けている。郵便ポストの存在に、ここに人の営みがあったことを伺わせる。
駅のガード下はおよそ50メートル少々。急カーブを描いておりその先は鶴見川の堤防とぶつかる。
国道駅は海に近いだけあって、周辺には貸し釣船の店が数多く点在している。ガード下にも「荒三丸」という貸し釣船の船宿が一軒ある。
国道駅の東側からは、生麦魚河岸通りに続く道が南北に走っている。魚屋ばかり並んでいる一帯だ。
夜ともなると、国道駅構内を照らす明かりはこの通り昔ながらのもの。戦前にタイムスリップしたような駅だと語られる事が多いが確かにそう表現する他ない。
民家として使われていたであろう建物と建物の間には家の裏手へ続く真っ暗闇の通路の存在がある。完全に廃墟探検モードに突入している。
かつてはこの駅構内でも「向こう三軒両隣」の緊密な近所づきあいの光景が繰り広げられていたのだろうか。出来れば昔の写真を探し出して見てみたい気もする。
映画のロケにも度々使われもしており駅自体はかなり有名になっている。最近ではTBSドラマ「華麗なる一族」で木村拓哉演じる万俵鉄平が電話を掛けるシーンでこの駅の構内が使われた。
鶴見線の駅は鶴見駅を除けば全て無人駅となっており、この国道駅も例外ではない。しかし時折駅員が自動券売機のメンテナンスや切符の回収や清掃などの目的でこの駅に居る事もある。
もしこの一つだけしかない自動券売機が不具合で停まったらインターホンで鶴見駅の職員を呼び出してここまで来てもらう必要があるわけだ。だが改札口には簡易式Suicaリーダーがあるのでそれを使うのが手っ取り早い。
スイカもイコカもましてや自動改札機もなかった時代の遺物が残っている。木枠の中央には乗車券回収ボックス。今も無人駅ばかりの鶴見線同士で乗り降りする場合、運賃の支払いは利用者の良心に任されている。
昭和初期の設計の駅だけあってバリアフリーなどはなから考慮されておらずホームに向かうのは階段のみ。
鶴見駅方面へは階段中程から分岐している渡り廊下を跨いで反対側へ向かう。その上から駅構内のガード下が一望できるのだ。渡り廊下の真下には「やきとり国道下」。
ふと正面を見ると開け放たれた窓から人家の明かりが見える。まだ居住者がいたのだ。家賃は月々いくらくらいなのか気になってしょうがないんですが。
鶴見駅方面へ向かうホームに上がる手前に「お客様にお願い」と書かれた注意書きが。なにせ駅自体が急カーブの途中に位置しているので、電車が来たときにホームと車両の隙間が広く転落の恐れがあるからだ。
たった3両分しかない短い鶴見線のホームはどことなく我が地元の大阪環状線に共通する作りを感じさせる。確かに全体が急カーブが掛かっていて電車との隙間が広いことが分かる。電車が近づくと踏切もないのに「カンカンカン」と踏切音を発するスピーカーが存在するのも、事故防止のための対策の一環として取られているからだ。
もう一つ注意書きがあるが、さすが海に近いだけの事はある。カモメがウンコを落とすからだろうか。夏場は近所のヤンキーが河原でロケット花火を飛ばすのでそっちにも気をつけなければならない。
国道駅を東側の生麦魚河岸通り方向から見る。老朽化激しくもあるがしっかりと作りこまれた建築であることがわかるだろう。
ここから南側に続く「生麦魚河岸通り」を行けば、歴史の授業でも知られている「生麦事件発生の地」の碑へと辿り着く。開港間もない150年前の横浜にて大名行列を遮ったという理由だけでイギリス人が斬り殺されるという、今から思うとえらい野蛮な事件である。また次の機会にでも訪問しよう。