忘れられた横浜「生麦」 (1) 魚河岸通り

東京と横浜の間にある京浜工業地帯。もっぱら工業都市といったイメージでしか捉えられず、どちらかと言えば見捨てられたような感すら漂う寂寥感たっぷりのエリア。
しかしそんな場所にこそ知られざる都市の一面が隠されているのだ。

我々は再度JR鶴見線に乗り、国道駅で降りた。戦前から残るガード下の光景は鉄道遺産と呼べるべきものであるが、そこを出ると「生麦」の町が広がる。生麦事件は歴史の授業では馴染み深い出来事であるが、その地が今も当時の漁港の名残りを留める魚市場が生き続けている事は、あまり知られてはいない。



生麦の町は、江戸時代に徳川幕府に新鮮な海産物を献上する為の「御菜八ヶ浦」の一つとして大いに賑わった港町の一つだった。
JR国道駅を降りた先、子安方面に向けての一帯は「生麦魚河岸通り」と呼ばれ、現在も4~50店舗程の魚屋が朝っぱらから威勢良く商売に励んでいる。しかし昼間に来ると殆どの店が営業終了していて、見ての通りだ。

魚河岸通りに面した民家は相当古い建物が目立つ。主な顧客は周辺の寿司屋や料理店などだそうだが、一般客への小売りも行っている。しかし時代とともに年々店舗数が減少しているという。終戦後には160店舗あったものが今では半分以下。

元は魚屋だった建物が店じまいして廃屋状態になった店舗の玄関を広告が覆っている。オンボロながらスカイブルーが映えるトタン板が漁師町独特の風情を醸し出す。

魚屋は年々元気を無くしているようだが猫はそれほどでもないようだ。

漁師町生麦の旧東海道沿いには「道念稲荷神社」の赤鳥居のトンネルが。朱色は塗り直されて間もないようで見るからに眩い。

さらに街を南下していく。所々に古い民家がそのままの姿を残していてノスタルジックである。毎日東海道線や京急線で通勤している忙しい都会人を尻目に、古民家はどっしりと佇む。

個性的で古い電信柱の広告も漁師町の昭和テイストを盛り立てる脇役だ。

犬の糞尿に注意を促す看板も、ここ生麦の街ではなんだかおっとりした文体である。大阪民国に行けば「ここらで犬にクソさすなバカモン」とどやされる訳だが、所変わればなんとやらである。

生麦の街を訪れたら、路地裏の地面を注意深く見ておこう。この界隈の地面はかつて「生麦貝殻浜」とも呼ばれ、土の成分の多くが堆積した貝殻で出来ている。

民家の裏などを見ると確かに貝殻があちらこちらにあるのが見える。現在は護岸工事で堤防の向こうとなっているが、鶴見川の川べりに出るとさらにこの傾向が顕著である。

江戸時代から漁港の風情を保ってきた生麦地区だが、徐々に衰退傾向にある魚河岸の存在に反するように開発の波が襲ってきている。街の至る所に「高速道路建設反対」の看板が掛かっているのが印象的だ。

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