本当にここ港区か?!麻布十番駅目前でありえない下町っぷりを見せる「三田小山町」という場所

港区

いまや住民の高収入世帯の割合が日本一高く、住宅価格もしこたま高いことですっかり成金セレブ御用達キラキラタウンと化している「東京都港区」も元を辿れば結構アレな下町だったりすることも多い。今回もそんな場所の一つを紹介したい。

首都高の高架橋が頭上を覆い、陰気臭いコンクリート護岸の川が流れている場所…ここは小綺麗に着飾ったおセレブマダムがしゃなりしゃなりと子犬を連れて闊歩する商店街がある「麻布十番」の地下鉄駅から目と鼻の先にあるところ。麻布十番駅前の「一之橋」から古川を眺めると、その川の向こう側に恐ろしく古ぼけた木造住宅が密集する一画がある。

三田一丁目の西側、旧地名「三田小山町」

ここは住所で言うところの「港区三田一丁目」。三田と言えば田町駅の西側あたりのエリアだという認識があるが、三田一丁目の西端にあたるこの古川沿いの低地の一画だけ「三田小山町」という昔の地名があり、なんともどぎつい佇まいの下町風景が残っている。

地下鉄南北線麻布十番駅の二番出口を出ると徒歩一分で辿り着く「小山橋」から三田小山町の町域に入る。 とてもここが“東京都港区”だとは思えない…と上京したてのカッペ民の目には映ること必至だろう。でも古川沿いの低地なんてよく見りゃ白金の奇数丁目エリアだってこんな感じだし、ここが荒川区とか墨田区だと言われても何の違和感もない。

小山橋を渡った先の路地が三田小山町のメインストリートという認識で間違いないようだ。ここだけ申し訳程度に個人経営の八百屋(なぜかレオパレスと一体化している)だのタバコ屋だのクリーニング屋やコインランドリーといった下町庶民の暮らしに根付いた店舗が適度に生き残っていて、麻布通りを越した先のハイソな商店街で金に糸目をつけずに気楽にショッピングできない土着民の細やかな暮らしを支えている。

昔ながらの低層木造棟割長屋が連なるキョーレツな一画は三田小山町の町域のおよそ50メートル四方に広がっている。ここから古川沿いの旧「麻布新広尾町」にかけては古くは大正時代に永井荷風が「日和下駄」の文中にて「スラム」だと評するほど、低所得者層が住まい木賃宿が立ち並ぶ、劣悪な地域だったとされる。

永井荷風がスラムと評した古川沿いのド下町

この界隈を歩いていてさらに驚くべきは、行き止まりの路地にまで目を配らせた時に目にする、“昭和レトロ”と陳腐なワードで形容するにも畏れ多い、あまりに古すぎる家並みの姿だ。いまや令和の時代ですよ?よくこれだけの建物がド都心の港区の、それも駅前一等地に取り壊されずに残っていたものだ。

三田小山町という土地は90年代のバブル経済による地上げの嵐にも無縁だったようだ。もっとも麻布十番に地下鉄が開通したのはその後の2000年代に入ってからだが、今現在進んでいる2020東京五輪前の土地バブルの波にも我関せずといったところか。 しかしこうした古い住宅も空き家がぽつぽつ見かけられるのは確かだ。

このお宅なんて戦前から存在してそうなほどの貫禄を見せていて、荷風が歩いていた時代の風景を留めているとするなら、ちょうどこの辺なのだろう。そしてあちこちにベタベタ張り出されていて目立つ政党ポスターも共産党か公明党ばかりなのはお約束だとしても、そこに紛れてしれっと「幸福実現党」があるのは、エル・カンターレの地元・白金に近いからか?

車もろくに入れない細い路地の先にも、まだまだバルコニーが木造だったりする“向こう三軒両隣”状態の超絶狭小住宅群が連なっているのである。誰が港区を金持ちの街と決めたのだろう。元麻布の本光寺裏手とか高輪の高野山裏手とか、ガチな下町風景が見られる場所は未だ枚挙にいとまがないではないか。

路地の奥までずんずん進んでいったら、とうとう「リヤカー」まで置いてありやしたよ兄さん…いまどき町中にナチュラルにこれが縦積みで置いてある風景なんて東京中探してもなかなか見かけられない。ここいらには「廃品回収業者」でもいるのだろうか。

…そんな思いを巡らせながらその奥にある建物に目をやると…ここは民家というよりは古ぼけた町工場のような佇まい。何かの業者のようである。その右手側の一角には一枚の張り紙が貼り付けられていた。

その張り紙の内容を見てみると…どうやら直感が当たったようである。古紙やアルミ缶などを扱っていた廃品回収業者のようだ。どうも2018年末で商売を辞めてしまったらしく、古紙やアルミ缶の回収は今後各自資源ゴミとして出すような断り書きがしてあるのだ。

そしてこの廃品回収業者のそば、三田小山町の入り組んだ路地の最奥部には廃業した銭湯「小山湯」のおっそろしく貫禄ある建物がこの時代になっても鎮座しているのである。2007年に廃業してしまっているので相当年月が経っているはずだが、建物は今も荒れる事なく残っているのだ。

二度と開けられる事もないであろう小山湯の入口の脇から、さらに細い路地が伸びていてその先が石段になっているのが見られる。

この細い階段で繋がっているのが、同じ三田一丁目に属する高台の住宅地。ペンシルハウスの如き戸建住宅が連なる一角もあればお寺や高級マンションやオーストラリアやキルギスといった外国の大使館なんかもある、ザ・港区的な風景に変わる。

階段を登りきると、小山湯の屋根の後ろ側から東京ならではの高層ビル群を遠方に拝むこともできる。この先は三田小山町からは外れるので、とりあえず登ってきた階段、また降りていきますかね…

今度は同じ三田小山町の北側の路地に足を進めていく。相変わらず古ぼけた木造住宅が密集する路地裏風景となるが、そのすぐ背後がタワーマンションになってしまっているあたり、港区らしいバブリーっぷり。

そんな路地裏を歩いていると唐突に自転車や金属類が玄関先に無造作に積まれた怪しげなお宅が見かけられる。これも「廃品回収業者」なのであろうか。すぐそばにある韓国民団の在日韓人歴史資料館には戦後の1960年代に豊島区要町(千川駅前)にあった「バタヤ部落」の風景写真が展示されていたのを覚えているが、もしやここのお宅はその“生き残り”で、この界隈にも似たようなご職業の方がご多分に漏れずいらっしゃったのでしょうかね。

三田小山町の街並みは2021年に無くなる予定です

三田小山町の狭小住宅を抜けた先にはなぜか香川県の「東京さぬき倶楽部」 (旧讃岐会館)の建物がそびえている。ランチのお値段がお高い麻布十番界隈では低価格でうどんやランチが食えると評判の和食レストランや宿泊施設などが入っている。

それから目の前に仰々しくそびえるタワマンは36階建ての「パークコート麻布十番ザ・タワー」。上層階は余裕で2億超え。本当にどうでもいいが、こんなところに「株式会社TENGA」の本社オフィスが入っている。上野とかそのへんにあんのかと漠然とイメージしていたのに…

ところでこの界隈、東京都都市整備局によると「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」と称して、ごっそり再開発されることが決まっている。建築工事着工が“平成33年(予定)”と記されているので、令和3年、すなわち再来年2021年には再開発のための工事が始まる予定で、木造住宅が密集する一角も讃岐会館も全部無くなってビル街なり公園なりに生まれ変わるということらしい。この街並みも、いよいよ見納めの時が近づいているようだ。

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