久々にやってきた山手線屈指の場末タウン「日暮里」。太田道灌像が見守る駅前ロータリーに降り立つと下町臭プンプン漂う街並みと薄汚れた雑居ビルが目につく。舎人ライナーが出来ようとも再開発しようとも、やっぱり日暮里は日暮里のままでした。今回日暮里に用事があったのは、「三助」と呼ばれるご職業の方がおられる日本国唯一の銭湯が建て替え工事の為に閉鎖されると聞いて、慌ててひとっ風呂浴びに来た為であった。
そんな銭湯を目指して日暮里駅前から歩く。道すがら目にしたのは、古ぼけた一軒の廃業旅館の建物だった。これは所謂連れ込み宿…よく考えてみよう。日暮里の隣はあの鶯谷なのである。こうした旅館の一軒くらいはナチュラルにあってもおかしくない。
だが既に時は遅しで、「旅館」の文字が刻まれた看板も上下逆にして放置プレイだ。連れ込み宿に銭湯と、まだまだ昭和な香りがぷんぷんしますね日暮里の街は。
そんな路地を抜けると割と駅から近い所に「斎藤湯」さんの建物がございました。傍らにはコインランドリー。ここが「三助」と呼ばれる方がおられたという日本唯一の銭湯。過去形なのは、斎藤湯の三助さんが2013年中に高齢を理由に引退されたからだ。
っていうかまだ開いてませんでしたね。斎藤湯の営業時間はお昼の三時から。少し待ってましょう。「わ」と書かれた板は「湧いた」という意味で、営業中の銭湯の店先に掲げられているもの。営業終了したら「湯を抜いた」という意味で「ぬ」と書かれた板が掲げられる。昔の人の小粋な言葉遊びですわね。まあもうすぐ開きますんで待ってましょうね。
番台に450円払って中へ。男湯の入口には三助さんを番台から呼ぶ時に打つ「拍子木」が掛けられていた。男湯は拍子木を1回、女湯は2回打つのが決まり。もうこんな習慣も日本の歴史から姿を消す事になるのか…「三助」というのは名称の由来から紆余曲折あったが「流し」と呼ばれる客へのマッサージや背中流しを行う専門職の事。
ここに橘秀雪さんという日本最後の「三助」が2013年末まで居られたのだ。銭湯の経営者に北陸出身者が多いというのはよく知られている話だが、橘さんも富山県のご出身だそうです。ちなみに「流し」は別料金で400円必要。
現在の斎藤湯の建物は昭和35(1960)年に建造されたものでかなりレトロである。さすがに人がいる浴場や脱衣場内は撮影できなかったので言葉だけの説明となるが、オーソドックスに洗い場と2つの浴槽があるだけで、右側の熱い浴槽は「恵那温浴剤」なる人工ラジウム温泉となっていた。
縁側だけでも記念に撮って帰ってきたのだが、ベンチが置いてあって風呂上がりに外の風に当たる事もできる。足元には小さいながらも日本庭園風のしつらえが施されており鯉が泳ぐ池まである。粋ですねえ。
しかし、日暮里の下町の片隅で長らく営業を続けていたこのレトロ銭湯も2014年3月31日を最後に休業。新築工事のために見納めとなるのであった…別れを惜しむ地元の婆さんが「寂しいねぇ…惜しいねぇ…」と番台のおばさんに長々と絡み続けていたのが印象的だった。昭和がまた一つ終わる…
斎藤湯の建物の塀には既に「建築計画のお知らせ」の掲示がなされている。これによると4階建ての公衆浴場兼住居兼共同住宅が2015年3月末日を完了予定としてこの土地に出来る事になっている。東京らしいマンション型銭湯になるのも時代の流れか…再開の日まで静かに見守る事にしよう。
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