小田原市早川の早川河川敷の一画に不自然に建てられた人家の数々。首都圏でもめっきり見かけなくなった「戦後」の風景がここにはある。
河川敷集落に入って路地を半分程進んできた。住民の生活音はわずかに聞こえるものの、住民が通りがかる事は一度もなかった。もし居たとしても独居老人が慎ましく暮らしているくらいだろうか。目の前には箱根ターンパイクと西湘バイパスが合流するジャンクション。
トタン葺きのバラックも多いがプレハブ小屋の家まであった。この土地は戦後どのように歩んできたのだろうか。歴史的資料にありつけずにいるので、詳しい経緯が何一つ分かっていない。小田原市民からの情報提供を待つ。
この辺の家などはまさに戦後のドサクサで建てた掘っ立て小屋がそのまんま残っているといった雰囲気で凄まじい。物置だったか住居だったか定かではないが…
現存民家の一つ。玄関先のポストには郵便配達員に向けた「御苦労様です」の言葉が刻まれている。一応こんな場所でも玄関先までちゃんと郵便が配達されるのだ。感心。
その向かいのスペースは空き家になった土地だろうか、縄張りを示すようにブロックがまっすぐ家の輪郭を描くように敷き詰められていた。その奥にはガラクタ置き場。
さっき家から引っ張り出してきました、と言わんばかりの家財道具の数々がなぜか天日干しされている。大雨で家財が水浸しになったとかじゃないだろうな。もしくは引越しで不要になった荷物とか。
2階建てのトタンバラック。階段が2階部分に続いている。廃棄されたテレビやコタツなどがいくつか積まれている。廃品回収業者だろうか。
そこを過ぎると河川敷集落の終わりとなる。完全に都市開発から取り残されたグレーゾーンだった。ここまで生々しく残っていたとはある意味凄い。
で、ここで最後の民家の軒先から表に出ると、すぐそばにいる巨大な番犬に猛烈に吠えられるので要注意である。気付かずに迷い込んだらトラウマになりそうな怖さだ。部外者への威嚇を込めているのかも知れない。郵便や宅急便なんぞの配達員の仕事も大変だよなあ。
コイツがすぐに吠える猛犬の正体。かなりデカい。襲われたら噛み殺されそうだ。
そんな訳で命からがら猛犬から逃げ出してきた訳だが、今一度河川敷集落の全容を確かめたい為に、わざわざ早川の向こう岸に渡って改めて眺めてきた。
「韓国人会館」の看板はやはり目立つ。ここがウリトンネですと言っているようなものだ。
右端の韓国人会館を筆頭に左側下流にかけてバラック家屋がずらりと連なる。家々のすぐ背後には西湘バイパス、その上の高架橋は箱根ターンパイクへの分岐だ。神奈川の西の端でとんでもない風景を見た気分だ。まだまだ小田原は奥が深そうである。次回の訪問が叶う事を心待ちにしている。