あのジュリアナ東京があった芝浦の街をうろうろ歩いている。しかしすっかり寂れてしまって拍子抜けしてばかりの散歩道であった。一旦そのまま浜松町駅まで歩く事にした。
浜松町駅に近づくと「東芝」本社ビルの巨大な建物が姿を現す。三菱やら日立やらとともに日本人なら誰もが知ってるブランドの一つである。東芝の社名は前身である「東京芝浦電気」の略称がそのまま正式名称となったものだ。
さすがの東芝だけあって、本社ビルから300メートル程離れた浜松町駅まではきちんと連絡歩道が整備されているのだ。
海風が気持ち良いのか、野良猫が爆睡していた。
新橋や蒲田あたりまで行くと同じような感じでホームレスのオッサンがゴロ寝している姿を見かけるが、目ぼしい飲食店の見当たらないこのへんでは居心地悪いからかホームレスが居ない。浜松町駅に向かう連絡通路も殺風景であまり生活感がしない。
浜松町は東京モノレールの駅があることで羽田空港へ行く客が乗り換えに使う程度で、新橋ほど繁華街化していないサラリーマンタウンである。駅周辺には旧芝離宮恩賜庭園、世界貿易センタービル、竹芝桟橋などがあるがやはりいまいちパッとしない存在だ。
だがそんな浜松町駅においてひたすら人気者な存在が駅構内に置かれた小便小僧だ。改札前にやたら目立つように置かれている小便小僧の写真コレクション。他のJR駅では見られない変なテンションである。
浜松町駅だけでやたらアツい「小便小僧物語」に書かれた歴史を読むと、昭和27年に地元の歯科医が寄贈した陶器製の小便小僧が元だということ。現在のブロンズ像は2代目であり、これまた地元の主婦による手芸グループが小便小僧専用の衣装を季節の変わり目に製作し、着せ替えを行っている。
写真コレクションは歴代の小便小僧が着た衣装のほんの一部なのだ。法被姿、警官、消防隊員、スーパーマンなどと随分バラエティに富んでいる。いついかなるときでも「放尿中」なのはお約束。
しかし時折「ポンプが故障」することもあるのが人間と似たような特徴を持つ愛嬌といったところか。2代目小便小僧も1968年に交代してから40歳を過ぎている。既に年齢は中年であり前立腺肥大を疑ったほうがいい。
例の小便小僧は浜松町駅3・4番ホーム品川方にチン座している。目の前が小便の池でありリアルな色彩だがこれは藻が生えているからだ。
この日の衣装は海上保安庁バージョン。海のもしもは118番。
小僧は40歳を過ぎても小便の勢いが凄まじい。まさしく健康そのものである。
小便池の下には小便小僧の由来が書かれた石碑が置かれている。毎日数十万数百万の労働厨を運び浜松町駅を通り過ぎる奴隷運搬列車の民はどれだけこの小便小僧の存在を知っているのだろう。
東京に出て働く事以外に何も知らない人間がいる一方で、毎回せっせと小便小僧の服を作る暇なおばちゃんもいる。色んな人が住んでいる大都会東京。