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埼玉県名発祥の地・さきたま古墳群 (1) 行田市埼玉

埼玉県北部、行田市の一角に「埼玉(さきたま)」という地名がある。ここが埼玉県の県名発祥の地であると言う事で、いっぺん足を運んでみようと考えていた。

大宮から国道17号熊谷バイパスを高崎方面に北上し、さきたま古墳公園に向けて走ると現れる「埼玉交差点」。交差点名まで妙に太字でアピールしまくっている訳だが、さいたま市が「埼玉市」になれなかったのは、行田市と埼玉地区の住民が「埼玉」の使用を許さなかったからだと言われている。



ちなみ北埼玉郡(最近合併で消滅)、南埼玉郡というのもあるが、大宮や浦和をはじめさいたま市の大部分がもともとの北足立郡に属するので「埼玉市を名乗るのはおかしいだろう」と言う話にもなった。

で、行田市埼玉にあるさきたま古墳群にやってきた訳だが、公園の入口にも「めざせ世界遺産!」などと書かれたどでかい看板を建ててアピールに躍起なのである。下のイラストはさきたま古墳群のマスコットキャラクター、ニニギン君とコノハちゃん。ことごとくゆるい。

しかも歩道の地面には埴輪マークと埼玉県章が刻み込まれている。この埼玉県章も勾玉16個を向き合わせた形になっている。さきたま古墳群で発掘される勾玉(正確には「幸魂」という神道の概念で神の霊魂を示すもの)をモチーフにしているのである。一体リアル埼玉県民の何割がこの事実を知っているのだろうか。

さきたま古墳群というのは関東屈指の規模を誇る古墳群ではあるが、その周囲には同じく埼玉県名発祥の古社と言われる前玉神社などが集まっている。なんだかただならぬ雰囲気である。埼玉の中心を巡って浦和と大宮が争いを繰り広げているのがアホみたいに思える場所だ。

そして、さきたま古墳公園の一角にしっかりと「埼玉県名発祥之碑」の石碑がドーンと鎮座しているのだ。

2つある石碑の右側にあるのが埼玉県名の由来を示す掲示板である。明治4年11月14日に埼玉県と入間県を設置したことに因んで、毎年11月14日が「埼玉県民の日」として県内各地でイベントを開催したり、私鉄各社が県内乗り放題の記念切符を売出したり色々あるわけだ。

さきたま古墳公園で県道で公園内が南北にぶった切られていて、南側が県立さきたま資料館と前玉神社、北側が古墳公園に分かれている。

さきたま資料館の前には江戸時代末期の稲作農家の茅葺き民家「旧遠藤家住宅」が建っている。わざわざ幸手市から移築してきたものだそうだ。

その近くにはもう一軒の茅葺き民家「旧山崎家住宅」。これも明治初期の稲作農家のもの。
ちなみにさきたま資料館では古墳での出土品の展示の他、埴輪作りや勾玉作りの体験もあるそうだが非常に地味過ぎるので地元民でもない我々は華麗にスルーして先を急ぐ。

さきたま古墳公園の中はひたすら広大である。その中を前方後円墳8基と円墳1基の計9基の大型古墳が点在している。関東各所でも古墳が見られるものの、関西の堺や羽曳野あたりの天皇陵と同じような形で近距離で密集したスタイルで広がっているものは、このさきたま古墳群くらいしかない。
古墳の多くが5世紀末期~6世紀頃に築造されたものと言われているが、未だに謎が多いらしい。

このさきたま古墳群自体、昭和初期になってからようやく古墳の存在に気づいて整備し始めたもので、それまでに周囲の沼地の干拓などで取り壊されていて一部は復元されたりしているし、完全な形のものではない。
現在さきたま古墳群は国指定史跡にもなっているが、これを世界遺産にしようと地元で運動が起こっている。堺の仁徳天皇陵ですら世界遺産入りを渋られているのにそりゃ無理あるだろうと傍から思う訳だが、観光不毛の県と言われて久しい埼玉県の身にもなれば、そりゃ観光資源発掘に躍起になってもしょうがないかと思ったりもする。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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