江戸川橋界隈 (6) 関口芭蕉庵

江戸川橋駅から神田川沿いの江戸川公園をとぼとぼ歩いて行くと、その途中で松尾芭蕉が暮らしていたという「関口芭蕉庵」という建物がある。

松尾芭蕉が神田上水の改修工事の際にこの場所に4年程過ごしていたらしい。その建物は既に戦災やらなんやらで無くなっているので、今ある建物は戦後に再建されたものだが、現在も近所にある講談社などの出版会社が中心となった保存会によって維持管理されている。
昼間であれば普通に入れるらしいので、ついでに立ち寄ってみることにした。
しかし正門からではなく勝手口から入るようなので、脇に回る。



芭蕉庵の正門を過ぎて角を曲がるとその先が勝手口になっている。目の前の坂は胸突坂という聞くだけで登るのが辛そうな名前の坂が控えているが、そこは登らない。

それにしてもこの付近は物凄く鬱蒼とした森が広がっていて凄まじい。胸突坂を登った先は目白台という高級住宅地。永青文庫、講談社野間記念館や東京カテドラル聖マリア大聖堂といった施設がある。

芭蕉庵の勝手口。玄関が閉ざされているが遠慮せずにおじゃましまーすと扉をガラガラと開いて入れば良い。入場可能な時間帯は10時から16時まで(開園時間は16時30分まで)なので注意。

勝手口を開いた先も人の家の庭みたいな状態になっている。建物の玄関ではなく右側の庭に抜ける道に入る。建物自体には特筆すべき点もないので、そのまま庭の方に回っていこう。

中庭に来ると「ひょうたん池」が広がっているが濁っていて底が見えなかったりして、あんまり手入れが行き届いていないのかと思ってしまう。

そんな池の畔に芭蕉のあまりにも有名な句碑が置かれている訳だ。
「古池や蛙飛び込む水の音」
古池ってこの池の事だったのかよ!と勘違いしそうになるが、実は滋賀県大津市にある岩間寺にある池が実在する「古池」らしい。ちょっと紛らわしいわな。

そんな池を通り過ぎると庭から裏山に道が伸びている。もう完全に登山道状態である。東京のど真ん中にこんな場所があるとはにわかに想像し難い。

そんな裏山の一角に「芭蕉翁之墓」と刻まれた石碑がこっそり建っている。芭蕉の句の短冊を遺骨の代わりに埋めたとされる「さみだれ塚」である。すぐ背後には椿山荘の敷地でなんとも味気ない「隣の家」の塀が墓前に迫っている。

裏山の最奥部には、享保11(1726)年、芭蕉の33回忌に作られた芭蕉の木像を祀る「芭蕉堂」が佇んでいるが、表の扉が閉ざされているので中の様子がさっぱり分からない。この建物だけは戦災を免れて当時のまま残っているらしい。

裏山から竹藪が生えていて、まるで京都にでも居るかのような錯覚に陥る。芭蕉はこの場所から神田川の反対側に広がっていた早稲田の田圃を琵琶湖になぞらえて句を読んでいたとか。

竹藪が迫る裏山の一角にかなり年季の入った焼却炉が置かれている。一体いつの時代に作られたものなのか分からない。

この場所に来ると実際に芭蕉が生きていた時代にタイムスリップでもしたかのような錯覚を覚える。観光客が忙しく訪れるような場所でもなく、時を忘れるには最適の場所である。
サラリーマン生活に疲れて一日くらいさぼって過ごすには丁度いい場所かも知れない。コンクリートジャングルばかりが東京の姿ではないということを再確認出来る。

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